晴天に恵まれた土曜日、松山の薪能を観に向かう。
城跡には、数々の幟が旗めいていた。
時間に余裕が無いわけではないが、駐車場は前回同様に随分と遠くに誘導される。
能舞台を収容する松山城址館に入ると、呈茶が振る舞われていた。
最後尾の椅子に座るも取り残され、「空いている前にどうぞ!」の掛け声で客が進み、お茶が運ばれるまでじっと待つことになる。
久しぶりの野外での薪能である。
太陽が燦然と輝き暑い日だった。
幟に書かれている人名は、能に纏わる人達だと思う。
酒井家の面々は代々続く酒井家の当主達。松平三郎信康は家康と築山殿の間に生まれた長子で、二十歳で自害させられた御方である。
舞台を清め
ご奉行と副奉行が僉議(せんぎ)を行う。
狂言「附子・ぶす」が始まった。
附子とはトリカブトから作られた猛毒のこと。主人は太郎冠者次郎冠者に留守を申し付ける。
附子には触ったりしないように、風下にいても危ないと告げるが。
主人は斉藤則子氏、二人の若手は中学二年生の女生徒である。
本当は容器には附子ではなく、黒砂糖が入っている。
それを取られないようにと申し付けたのだが。
興味津々の両冠者は、扇で風を送りながら、容器の蓋を開ける。
良い匂いの黒糖に、堪らず舐めて、食べてみる。
気がついた時には、空になっている始末。
さてどうしよう。
主人が帰ってくる前に、太郎冠者は次郎冠者をそそのかして、大事な掛け軸や天目茶碗などを粉々にする。
主人に申し訳ないことをしたと、死んでお詫びをするとて、附子を食す。
食べても食べても死ねなかったと主人に言い訳を申すのだが。
主人は怒るも、自ら招いた結果に・・・・・。
狂言の古典でもある。
休憩を挟んで、火入れの儀が始まる。
打ち鳴らされる太鼓と共に。
松明を持った二人がやってきた。
さぁ、薪能らしくなってきたぞと喜ぶも、突風のような風が吹く。
わらわらと、俄に集まる消防署員達。
燃える薪の量を減らせと注意を促される。
近くにあった薪は片付けられ、バケツに入った水は準備され、物々しい様となる。
能 「船弁慶」が始まる。
平家との戦で大功を上げた義経は、戯言によって源頼朝に不信を買い、逃げ延びることになる。
義経役は中学二年生。初々しい義経である。
弁慶は舞台を圧倒するほど大きい。
都から西国へ海路を取るために、尼崎大物の浦から船出をしようとする。
そこへ義経の側室の静御前が、一緒に行きたいと追って来る。
時の白拍子(現在で言うところの宝塚歌劇の男役)で美しい静御前に。
義経は一緒には行けないと告げる。
弁慶からも諭され、静は都へ帰ることにする。
静は別れの舞を舞うのだが。
風はますます強くなり、静が被る筈だった烏帽子は吹っ飛び、静自体もヨロヨロと・・・。
大丈夫か、中の人!
踏ん張りが効かないとみた。
別れを告げて静は旅立つ。
船主に船を所望する。
義経主従は船に乗る。
船頭が漕ぎ出すと、見る見るうちに暗雲がせり出し、風は強まり、海はあれ出す。
そこに勢いよく現れたのは、義経に滅ぼされた平家の怨霊。
壇ノ浦での合戦で義経と戦い、海の藻屑となった平知盛は、怒りを漲らせて義経に挑む。
義経は刀を抜き応戦し、弁慶は念仏にて怨霊を鎮めようと祈祷を繰り返す。
弁慶の祈りで友盛の亡霊も引き、海は穏やかになる。
幕に描かれた家紋は、酒井家のかたばみの紋。