妹が「2-3日前の山形新聞の記事に、羽黒山に新しいお堂が出来たと載っていた。」と教えてくれた。それから古新聞を漁りまくる。実際には2-3日前では無く、7月11日付けの記事だった。
明治時代に、神仏分離となり、羽黒山神社は神社の道をとり、排仏棄釈を行った。沢山の仏像が捨てられることになり、それを憂いた酒田の大工の棟梁・佐藤泰太朗は、羽黒山に関連した仏像を買い集めることにしたのである。高価な重要文化財系の仏像も有り、仕事で家一軒を建てるとその代金がそのまま仏像1体に変わると言う、本人は良いのだろうが、家族は堪ったものではない。家族にはおかゆを啜らせ、自分は仏像を集めたとは、彼の息子の弁である。
泰太朗の家には、この仏像達だけを飾った蔵があったが、泰太朗が亡くなると保存は難しくなっていった。朝晩供物をあげても、仏のご加護は泰太朗だけだったのではと言うようなことが続き、仏像を拝見したいと言う人を蔵に案内すると、少しづつ仏像の数が減っていくこともあって、ついに羽黒山に仏像を返したら良いのではとの意見が出た。曾孫の佐藤完司さんは主立った仏像達を、羽黒山に寄贈したのである。
完司さんの仏像は、羽黒山の宝物殿に飾られ、入場料を払いながら拝観できたが、今回この仏像達の為に独立した千仏堂が完成する運びとなった。これでいつでも無料で拝観できる。本来の人と仏像の関係が戻ったことになる。
さて、ずらずらと書き込んでみたが、妹と父とで話した最大の点が、完司さんの年齢を新聞社が間違えたことである。68歳なのに、86歳って、顔をみたらわかるだろうに!
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