水戸の偕楽園を後に昼食を予約してある那珂湊に向かいます。
ここの魚市場も津波の被害で建物は残りましたが1階が全部流された
と聞いていました。
初夏に友人が訪れた時には買い物をしたくても品物がまだ全然なくて
原発の影響で地元の物が売れないため遠くから仕入れた品物が並んで
いたと言っていたのを思い出しました。
「ヤマサ水産」の2階で昼食を頂きました。
一口では食べられないほどの厚切りのお刺身定食です。
家のお茶碗の倍はある大きな器のごはんも朝早い出発だったので
お腹が空き完食してしまいました。
食堂の窓からすぐ前に見える海、ここに津波が押し寄せたなんて信じられない静かさでした。
1階はおさかな市場で海の幸の買い物ができます。
市場はほぼ復旧され、並んでいるどのお店もたくさんの品物がありました。
私は震災前を知らないのでどの程度の復旧なのかはわかりませんが
干物や三陸わかめ、塩辛、乾燥いもなどを買ってきました。
食堂も市場も賑わっていましたから少しは観光客も戻り活気もでてきたのではないでしょうか。
おみやげに買って来た物はどれも美味しくてまた買出しに行きたいです。
お腹もいっぱいになりました。次に向ったのは大洗かねふく明太子工場です。
ここもすぐ前が海の場所に建っています。
入り口には「ここまで水が来ました」とラインが示してありました。
その高さからいくと陳列されていた商品など全滅だったでしょうね。
写真でも震災時の様子が展示されていました。
発泡スチロールのトロ箱がたくさん流されている様子や並んで配給を受けて
いる様子などたくさんの写真からここでの被害の大きさもよくわかりました。
今はすっかり綺麗な工場に復旧され説明を受けながら工場を見学もできます。
明太子は福岡と思っていたので「かねふく」の工場が茨城にあるとは知りませんでした。
お腹いっぱいでしたが軍艦巻きの試食が美味しくて空いてる間に2度並んで頂いてしまいました。
でも・・3度?4度?並んだ人もいたんですよ~ ごちそうさまでした~
そして最後は笠間稲荷でお参りして帰ります。
運転手さんが連れて行ってくれたのはここでした。
笠間稲荷と思いお参りしたのですが、以前行った事のある方々が
「ここは笠間稲荷じゃないわよね~?ここではなかった」と・・・
笠間稲荷は亡くなった「坂本九さん」が結婚式を挙げた所なんですね。
地図を見たらここのすぐ近くに「坂本九歌碑」と「九ちゃんの家」というのがありました。
何故運転手さんこちらを案内したのでしょう??
「こちらが本山なんですよ。」みたいな事言っていましたが・・・
「秋に菊人形をする所に行きたい」と言う事で歩いて移動しました。
こちらが皆が思っていた「笠間稲荷神社」のようです。
神社の参道にあったはずの鳥居がなくなっていました。
ここにも被害が及んでいました。
ここでピンクの可愛い安産のお守りを見つけて思わず買ってしまいました。
「お礼参りが大変じゃない?」と言われ「どうしましょ~!」
いつか来るときまで待っていただきましょうか。
今回の茨城へのバス旅行、東北地方ほどではないにしろまだまだ震災の爪後の残る
様子を見ると事の大きさを改めて実感しました。
実際に事実を見るとだんだんと記憶が薄れていたのがまた甦りました。
できる事の応援は続けなければと思いました。
皆さんお世話になりました。役員さんお疲れ様でした。
楽しい一日を過ごす事ができました。