まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

花おくら 夢の続きの 色で揺れ

2016年08月24日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れているが、午後からは大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨となる所があるというのだが、今のところ、全く、その気配はない。気温は26.2度から32.2度、湿度は90%から76%、風は2mから4mの東北東の風が吹いていて木陰にいれば涼しいなと感じる。明日の25日も、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 さて、朝方に生々しい夢を見た。土葬されたお墓の中から若い娘さんが現れて、私を遍路に連れて行く。お接待を受けたら、私に「寿限無」をやれという。いつも得意なはずの「寿限無」がうまく語れずに冷笑を浴びる・・・というもの。おかげで寝汗をかきながら朝の6時半まで寝ていた・・・。

 

 で、その埋葬された場所はどこであったのかと、香川県立図書館にやってきた。

 

 これは、どこの埋め墓だったんだろうか・・・。詫間町だったのか、多度津町だったのか、仁尾町であったのか・・。高見や佐柳の埋め墓ではない。こんなお墓から、若い娘がむっくりと起き上がってきたら、どんなにびっくりすることか・・・。

 

 ついでに「志々島の話」とか、

 

 仁尾町とか詫間町の町史を借りて来た積もりだったが、これは「誌」となっている。全く、参考にもならなかった。

 

 これが参り墓なのだが、仁尾町なのか、詫間町なのか、多度津町なのか・・・。

 

 ものはついで・・・ということで、ここにも寄ってきた。丸亀市にある「本派本願寺塩屋別院」である。

 

 今度の法話会のお話の舞台が、ここ、本願寺塩屋別院である。この太ったおじさんが、「生き仏さま」と敬われた「脇谷覚行和上」さん。背中を流している三助風の男が庄松同行である。

 

 その頃の塩屋別院はこんな立派なものだったらしい。わずかながらに面影があるような、ないような。

 

 現在の塩屋別院さんである。

 

 庄松同行に、自分の信仰を木っ端みじんに破砕されてしまった脇谷覚行和上さん。とてもじゃないがお説教などできなくなって、「和上急病布教中止」の張り紙を残して京都にお帰りになってしまわれた。

 

 その張り紙されたという山門を眺めてきた。ま、とにかく、暑いので眺めただけ・・・。

 

 けれど、田舎の在家の読み書きもできない庄松同行に意見されたからと、悔い改めて一切の法話を中止され、ひたすら聞法に励み直したという和上さんも見事。なかなかにできることではないなぁと、改めて感じ入った次第であった。

 

 今日の掲示板はこれ。「仏教とは信じる信じないということではない。生かされて生きているいのちの事実にうなずけるかどうかだ。」というもの。いつもお世話になっている赤松先生のお寺にあった掲示板から。」まさにその通りだなぁと「ガッテン」、「ガッテ ン」の言葉である。この私が、今、ここに、みんなとともに生きているという事実。これこそ不思議であり、有り得ないことであり、有り難いことで はないか・・・。まさに「生かされて生きている」という、いのちの実相に驚かされているばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。



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