まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

雨の日は雨らしく睡蓮を見ている

2022年06月27日 | 時にはぼぉっ~とする時

 27日は、上空の寒気や湿った空気の影響で概ね曇り、午後から夜にかけて雨や雷雨となる所があるらしい。明日の28日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 今日も又朝が来た。かけがえのない朝が来た。私のための朝が来た。それでも下腹部の痛みは消えていない。

 

 朝から、有料ブログを解消する方法を模索しているがわからない。台風があって、転居を繰り返し、電話番号もメルアドも変わってきた。カードも不明。とりつく島がない。

 

 向こうさんは本人確認したいらしいが、その本人がいつの本人かわからない。どこのだれかがわからないでは契約解除はできないのも道理。

 

 その合間に、ガイド仲間の見舞い客が来る。親戚筋のいとこ、はとこが来る。奥方は各種カードの名義変更ではしりまわっている。いらない客は呼ばないようにしてほしい。私はお接待やお茶も出せないからだなのだし。

 

 おなかに水がたまると呼吸が苦しくなる。見舞客はお断りのはず。

 

 dカード、スマホと名義変更はいくらでもある。銀行口座から給油カードとたくさんある。奥方は走りづくめだ。パンツが合わなくなった、パジャマが着られない。5Lサイズの下着やパジャマも欲しい。

 

 雷鳴とどろく中での留守番は不安だ。その証拠に、おやじギャグもジョークも出てこない。出るのは愚痴ばかりだ。それが生きている証拠でもあるのだが、きかされるほうはいやだと思うし。

 

 今日の掲示板はこれ「露の身は ここかしこにて 消えぬとも こころは同じ 花のうてなぞ」法然上人が今からちょうど八百年前に詠まれた歌である。当時は、法然上人の説かれた念仏の教えが大いに広まったため、比叡山、興福寺など旧仏教側が朝廷に働きかけ、浄土宗の弾圧を画策していた時代だった。

「私たちの命は、露のようにはかなく、いつ尽きるとも限りませんが、念仏を称える者は必ず極楽浄土に往生し、蓮華の座(台=うてな)で再び会うことができるのです。」と、浄土での再会をお約束されたのである。この別れの後、ひと月も経たないうちに五十四歳で兼実公は亡くなった。しかし、浄土三部経の一つ『阿弥陀経』で説かれた「倶会一処」(くえいっしょ)の教えが、法然上人と、離れ離れになった弟子や帰依した人々を結んでいる。誰しも家族や親しい人との別れは、言葉に尽くせないほどの悲しみだが、お念仏の生涯をおくれば、お浄土で再び会えることを法然上人は何度も説かれている。でも、私の口からはグチだけで南無阿弥陀仏は出てこない。
 
 
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。

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