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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

春の雨 犬も暇そうに 養生中

2011年03月06日 | ふるさと散歩

 今日は・・けいこばぁの・・実技試験の日。多分、介護福祉士の介護試験だと思う・・・。ま、ケアマネさんが通っているので、この試験に落ちても少しもかまわないらしい・・。それだし、あと何年もお仕事を続けることもないのだし・・。

 

 で、高松市内の・・某有名高校の英明まで送って行って来た。何が有名なのかは知らないのだけれど・・。スポーツとか高校野球とかで有名になったこともあるし・・。もとは・・男子高校生の憧れだった「明善」とかいう女子高校だった・・。そこへ今は・・男子高校生が我が物顔で通っているらしい・・・。

 朝の7時前に我が家を出て・・・8時前には学校に着いた。それらしい男女がうじゃうじゃと集まっていて、警備員が忙しそうに走り回っていた・・・。

 私は・・・そこから・・・トイレを探して・・・山の中に入った。峰山という山には公園もあるし・・ということで・・・栗林トンネル方面に入って峰山に上った・・・。公衆トイレの場所は・・・自然に浮かび上がってくるのが不思議だった・・。

 

 若い頃に・・・「讃岐歴史散歩シリーズ」を書くために・・この山の古墳群を調べたことを思い出した・・。ここの古墳群は、こうした安山岩の自然石を盛り上げた・・「積み石塚古墳」というのが特色。こういう角張った石を盛り上げて・・・前方後円墳や双方中円墳とか、普通の円墳、方墳なんぞもあって、その数は実に・・・200基・・。これは・・・異様な雰囲気だけれど、韓国にもこんな積み石塚古墳があると聞いた・・。

 

 早い時期に盗掘されたようで、石棺などが無造作に放置されている・・・。そのままの状態で保存するのがいいと考えたのだろうが、犬の散歩や中高年のウォーキングで踏み荒らされているのはおかしいぞ・・と思った・・・。荒れ放題だし、踏み荒らし放題だ。少しばかり・・・トラロープで仕切りはしてあるが、そんなもの、何位の役にも立っていない・・・。

 

 こうした・・古墳時代後期の横穴式古墳になると、あ、それらしいかなぁと思うけれど、小塚や猫塚、姫塚古墳などの積み石古墳は・・・単なる山としか思えないものばかり・・。

 そこから・・・峰山墓地とか擂り鉢谷墓地とかばあがいけ墓地という・・・累々とした墓石群のなかを下りてくると・・・高松の氏神さん・・「石清尾(いわせお)八幡宮」に出る・・。だから・・先に見た古墳群も実は・・「石清尾山(いわせおやま)古墳群という・・。

 

 まだ・・九時前だったからか・・・人影はほとんどない・・。静寂の中で見る神社は威厳がありそうな雰囲気・・・。「信は荘厳より生じる」という言葉が・・「なるほどなぁ・・」と思わせる。

 

 ここの梅は満開状態・・・。しばらく・・境内を散策するが・・猫の子一匹にも会わなかった・・・。

 そこから・・・再び・・・栗林トンネルを抜けて・・帰ってくる途中・・。「あ、そうだ・・」と思い直して・・・高松市一宮町の「田村神社」に寄ってみた・・・。朝から・・坊さんが神社をはしごしてどうするんだ・・。

 

 ここは・・「讃岐一の宮・田村神社」で、赤い袴の巫女さんが・・・新車のお祓いをやってはる・・。いや・・・巫女さんに用がある訳ではなくて・・・。立てかけられた看板の字が見えるかな・・・。「うどん 百五十円」と書いてある。全く・・・「信心のない坊さん」そのものだな・・。

 

 この神社の建物の中で・・・「田村神社日曜市」として、おうどんが販売されている。ここは、日曜日しか営業していない超レアなうどん店として有名。うどん玉がなくなればおしまい・・。「恐るべき讃岐うどん」とかという、攻略本を抱えた若者がにぎやかにうどんをビデオにおさめたりしてる・・。かくいう・・私もデジカメでうどんを撮影している・・・。

 

 右側のおじさんが食券売り場で、150円を出すと食券を渡してくれる。食券を持って、この中程のカウンターでお盆を受け取り、どんぶりを受け取って、テーブルに着いて食べて・・・、この食券売りの向こうにいるおばさんに食器を返却しておしまい。お箸は・・・指定のお箸入れに整頓して並べておく。

 

 こんなもの・・・。ほかにお寿司とか・・天ぷらとかもあるし、バクダン・・というものもあった。バクダンて何じゃろ・・。

 

 で、麺はシンプルなもので、おいしいとかというものではない。麺はやわかくて・・お出汁は軽めの塩分控えめみたいな・・・。

 

 ネギもあらかじめ・・・載せてくれている・・。おなじみさんは玉買いで、5玉とか10玉とかと買っている・・。

 

そんなんで、じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


おまけ>海の交通標識:燈台・灯標・浮標・・。

2011年03月06日 | ふるさと散歩

 来る・・・三月二十日に、丸亀市沖にある「さぬき広島」で、塩飽史談会という、歴史研究会の例会が行われる・・・。で、この私が・・・ガイド役を仰せつかったのだけれど、私は・・・塩飽の島に生まれた訳でもなく、さぬき広島で育った訳でもない・・・。それなりに・・島とは関わり合ってはきたのだけれど、どれだけ・・島のことをお話できるかだな・・。

 

 陸上で生活してる人たちは見たことがないだろうと思うけれど、陸上には信号機や道路標識があるように、海には海の標識がある・・・。確か・・・船舶免許を受けるときには勉強したはずなんだけれど、免許を手にしたとたんに忘れてしまうのは・・・海も陸上も似たようなもんだ・・・。

 

 一般的に・・燈台は白い色をしている。海から見れば・・・この白さがよく見えるかららしい・・。「燈台は白色」というのが・・・一つの標識だ。これは・・映画で有名になった・・「男木島燈台」・・。おいら・・みさきの~とうだいもりよ・・・」で有名になった。

 ところが・・・海には・・・

 

 こんな赤い燈台もあれば・・・・

  

 緑色もあるし、黄色もある。

 

 それだし、赤と白のブイもある・・・。

 

 この色にも意味があって、赤と緑の間を通らなければならないとか、赤の右側を通ってはならないとか・・・という規則がある。

 

 で・・だ。これが・・さぬき広島にある・・「はぶし燈台」正確には・・・「波節岩灯標」という。一概に・・「燈台」というても、「本家・燈台」と、「灯標」「浮標」などと・・ランクがあるらしい・・。その大きさとか規模とか役目とかで・・・。

 この灯標は丸亀港約21キロメートル沖合の干岩礁上海抜約2.7メートルに円形石造りで建設されている。灯標の規模は地上から頂部まで約12.6メートル、平均水面上から灯火まで約14.8メートル。主な形状は地盤から約4.6~6.8メートルの範囲を石積みし、最も細い部分の外径は約2.8メートルである。

 外装は黒地に赤色横帯1本が塗られて、標識上部には黒色球形が2個が掲げられており、これが「孤立障害標識」を表している。孤立障害というのは、見えている岩(干岩)や、見えない「暗岩」などの危険な場所を示して近寄らないように・・・という標識である。

 

 海面以下の構造はこうなっている・・。こういう灯標をみたら近づかないことだ。私が免許を受けるときには、「この燈台は動かない!」という意味だ」とならった記憶があるが、多くの燈台は・・・動かないとおもうのだけれど。

 この、波節岩灯標の点灯は明治28年(1895年)1月25日。建設費は当時で4,624円25銭01厘であったらしい。位置は、「香川県丸亀市(広島エンド鼻)」で、緯度:34°20′42″、経度:133°42′47″。光り方は、群閃白光 毎5秒に2閃光。光の強さ 1100カンデラ(実効光度)。光の届く距離は、17.5キロメートル。と、言われても・・・体感的には何の事やらわからない・・。

 

 で、赤の燈台の右側を通ってはならない・・という規則だけれど、この「孤立障害」の場合には、「この灯標を左手に見て航行せよ」という規則になっている・・・。だから・・、大型船舶は・・・必ず、この灯標の右側を通ることになっている・・・。

 

 これは・・・与島と陸続きになってしまった「鍋島燈台」。

 ま、今回はどれだけ・・・お話する時間があるか・・・だな。「はぶし燈台」ばかりに時間を費やすわけにもいかないしね・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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