GSゲルマニウム原人の退屈な日々

見わたせば、気になることばかりなり・・

ブルースセッションでもどう?

新潟物産展

2009年08月19日 08時52分08秒 | 徒然なるままに
ま、個人的に♪

それぞれ別の所からの到来物で「一人新潟物産展」をやってしまった、八海山の米焼酎「よろしく千萬あるべし」一升瓶バージョンと「茶豆」そして写っていないけど長岡のカレードレッシングもちょいと参加で。

母方のルーツが新潟なこと、またうちのご近所には昔から新潟出身者のご家庭が非常に多いことから「車麩」だったり「笹団子」だったり子供の頃からずっと存在していた。

おそらく1921年頃から蒲田に有った日本舶用ディーゼル機関発祥之地「新潟鐵工所」の労働者達が結構居住していたせいじゃないかと思うのだ。そう言えば昔から母親の自慢話で親戚だかなんだかの誰それさんが「ディーゼルエンジン」の凄い技術を持っていた等々の話をしていた覚えがある。(新潟鉄工と言えばディーゼルエンジンだからな)

ちょうど大正時代、松竹蒲田撮影所(1920)があって新潟鉄工があって、昭和に入ってからは東洋オーチスの工場、そしてそのすぐ側(自動車教習所の踏み切りの所)には三省堂の印刷所があったようだ。映画「砂の器」でも有名な電車区のそばには大倉陶園があって、今のタイヤ公園のそばには各務クリスタルもあったな。

なかなか蒲田も華やかな♪大正~昭和にかけてたくさんの労働者、職工や女工さんがこの辺を闊歩していたんだろうな。

あれ?話が蒲田方面に(^^;)

っていうか、新潟のことそれほど知らないし、あはは♪

何で「新潟」って言うのか調べたけどイマイチよく解らない、どうも今の新潟市の当たりは湿地帯で川の流れによって町も移動するようなちょうど大昔の江戸にも似たような地域だったらしい。で、だんだん整備されて「潟」は港町になっていったと。(ますます江戸に……いや江戸が似てるのか)廃藩置県後中心をどこにするかのとき当時は大きな港があるかどうかが重要な訳で「柏崎」と「新潟」で争ったみたいね、どうも結局はクジで決めたって説がよく出てくるけど♪(相撲で決着なんて珍説も)

まぁ新潟ッて言ってもいささか広ぅござんすからねぇ~極端な話上越と下越では人種すら違うんじゃないかと♪

なので、え~~と、無理<(_ _)>

地元の事しかネタにない(^^;)ギリ、鉄工所まで頑張ったけどね~枝豆食って終わり、うひゃひゃ。
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