お会式って知ってる?
毎年秋が来て、そろそろ肌寒くなってきたなぁ~と思う頃になりますと、お会式という行事が私の住む地域では行われます。
お会式とは鎌倉時代の僧「日蓮」の命日(10月13日)の法要のことなのですが、おそらく私家主の住む地域東京大田区は間近に日蓮が無くなった「池上」という町や足を洗ったという「洗足池」など日蓮にゆかりの深い地域のせいでもあるのでしょう、10月に入りますといろいろな日蓮宗系のお寺の講中や日蓮系新宗教団体の講中などがそれぞれ日を変えて各地域からパレードを行います。
大体が、万灯と呼ばれる行燈に紙で作った花をしだれ桜のように飾った物を先頭その後を火消しの纏(まとい)をふり団扇太鼓(どんどん良く鳴る法華のタイコですね)と呼ばれる太鼓をたたいた信者達がお題目を唱えながら練り歩くという物で夜暗くなってからの行事ですから、明かりのともった万灯と纏のなかなか美しくも威勢の良いイベントとなっています。
なぜ飾り付けた万灯なのかといいますと日蓮上人が無くなった時に季節はずれの桜が咲いたという伝承から来ている物だそうです。
また、このお会式の時池上の本門寺では夜店が出るのですが、柘榴売りの屋台が出ます。
日蓮は鬼子母神を敬っていたのですが、鬼子母神には説話があり、それによると鬼子母神は自分の子がありながら他の子供の頭を食っていたといわれ、釈迦は、彼女を憐れみ柘榴を与えて、その習慣を止めさせたというので柘榴が売られるのです。
ちなみに、よく年寄りや噺家が「恐れ入谷の鬼子母神」などと言うことがありますが、正確には「恐れ入谷の鬼子母神、びっくり下谷の広徳寺、そうで有馬の水天宮、志やれの内のお祖師様、うそを築地の御門跡」というのだそうで江戸の文化人「蜀山人 太田南畝」がつくった洒落言葉です。
ところでなぜカボチャとかでなく柘榴なのでしょう。一説によると柘榴と人肉の味が似ているからだと云うことがありますがこの説は間違いではないでしょうか。
仏教通過の地パキスタンや西洋の柘榴をみるとわかるのですが、パキスタンの柘榴は大きく、日本の柘榴を野球のボール位とすればパキスタンのそれはソフトボールほどあります。
さらにパキスタンの子供の頭は、なぜか日本の子供の頭よりずっと小くいわゆる小顔なのですが、肌の色も茶色な事から、頭の形と色が似ていることやまるで血のような果汁などでこんな説話ができたのではないでしょうか。
昔の江戸のお風呂というのは浴室の蒸気を逃がさないように工夫されていて脱衣場、洗い場と浴室の境を「柘榴口」とよばれる柘榴の絵が描かれた板で半分近く遮断されていたそうです。
なぜ、柘榴口かというと、浴槽にはいるためには低く屈んで入らなければならず、そのように「屈み入る」と言うところから「鏡鋳る」に引っかけて、昔は職人が鏡を磨くのに「柘榴」の実の酢を用いて磨いたことから出た”洒落言葉”であったようです。
柘榴には漢方薬としての効果もあって最近では果実には女性ホルモン、エストロゲンがあるとか果実の皮、根、木の皮などには下痢止めなどの効果があるそうで、かつて作家「開高健」も自著のなかで若い頃怪しい漢方薬屋のバイトをしていて柘榴の木の皮や根を細かく砕いた煎じ薬の製作を手伝ったことがあると書いてありました。その商品名が「セキルコンピ」なにやら変な名前ですが柘榴という字の旁が石、留でセキル。またその根と皮でコンピだったそうです。
実は大の柘榴好きで、死ぬまでに一度まるでルビーのような柘榴の実で埋め尽くされた浴槽につかって思いっきり食べてみたいと思っている所存です・・・・変な奴。
毎年秋が来て、そろそろ肌寒くなってきたなぁ~と思う頃になりますと、お会式という行事が私の住む地域では行われます。
お会式とは鎌倉時代の僧「日蓮」の命日(10月13日)の法要のことなのですが、おそらく私家主の住む地域東京大田区は間近に日蓮が無くなった「池上」という町や足を洗ったという「洗足池」など日蓮にゆかりの深い地域のせいでもあるのでしょう、10月に入りますといろいろな日蓮宗系のお寺の講中や日蓮系新宗教団体の講中などがそれぞれ日を変えて各地域からパレードを行います。
大体が、万灯と呼ばれる行燈に紙で作った花をしだれ桜のように飾った物を先頭その後を火消しの纏(まとい)をふり団扇太鼓(どんどん良く鳴る法華のタイコですね)と呼ばれる太鼓をたたいた信者達がお題目を唱えながら練り歩くという物で夜暗くなってからの行事ですから、明かりのともった万灯と纏のなかなか美しくも威勢の良いイベントとなっています。
なぜ飾り付けた万灯なのかといいますと日蓮上人が無くなった時に季節はずれの桜が咲いたという伝承から来ている物だそうです。
また、このお会式の時池上の本門寺では夜店が出るのですが、柘榴売りの屋台が出ます。
日蓮は鬼子母神を敬っていたのですが、鬼子母神には説話があり、それによると鬼子母神は自分の子がありながら他の子供の頭を食っていたといわれ、釈迦は、彼女を憐れみ柘榴を与えて、その習慣を止めさせたというので柘榴が売られるのです。
ちなみに、よく年寄りや噺家が「恐れ入谷の鬼子母神」などと言うことがありますが、正確には「恐れ入谷の鬼子母神、びっくり下谷の広徳寺、そうで有馬の水天宮、志やれの内のお祖師様、うそを築地の御門跡」というのだそうで江戸の文化人「蜀山人 太田南畝」がつくった洒落言葉です。
ところでなぜカボチャとかでなく柘榴なのでしょう。一説によると柘榴と人肉の味が似ているからだと云うことがありますがこの説は間違いではないでしょうか。
仏教通過の地パキスタンや西洋の柘榴をみるとわかるのですが、パキスタンの柘榴は大きく、日本の柘榴を野球のボール位とすればパキスタンのそれはソフトボールほどあります。
さらにパキスタンの子供の頭は、なぜか日本の子供の頭よりずっと小くいわゆる小顔なのですが、肌の色も茶色な事から、頭の形と色が似ていることやまるで血のような果汁などでこんな説話ができたのではないでしょうか。
昔の江戸のお風呂というのは浴室の蒸気を逃がさないように工夫されていて脱衣場、洗い場と浴室の境を「柘榴口」とよばれる柘榴の絵が描かれた板で半分近く遮断されていたそうです。
なぜ、柘榴口かというと、浴槽にはいるためには低く屈んで入らなければならず、そのように「屈み入る」と言うところから「鏡鋳る」に引っかけて、昔は職人が鏡を磨くのに「柘榴」の実の酢を用いて磨いたことから出た”洒落言葉”であったようです。
柘榴には漢方薬としての効果もあって最近では果実には女性ホルモン、エストロゲンがあるとか果実の皮、根、木の皮などには下痢止めなどの効果があるそうで、かつて作家「開高健」も自著のなかで若い頃怪しい漢方薬屋のバイトをしていて柘榴の木の皮や根を細かく砕いた煎じ薬の製作を手伝ったことがあると書いてありました。その商品名が「セキルコンピ」なにやら変な名前ですが柘榴という字の旁が石、留でセキル。またその根と皮でコンピだったそうです。
実は大の柘榴好きで、死ぬまでに一度まるでルビーのような柘榴の実で埋め尽くされた浴槽につかって思いっきり食べてみたいと思っている所存です・・・・変な奴。
イチゴケーキかと思っちゃった。。。
私はあんこ大好きですけど、
あんこまみれだと胸焼けがするので、
しっぽはかりかりウエハース状態がいいです。
ちなみに~関西人ですのでー
たこ焼き器は一家に一台。
「今日の晩ご飯はたこ焼き~」って普通です。
そう言えば最近してないなー
いや、夕べとんねるずの番組で爆笑問題が持ってきたみやげ、銀のぶどうの和風モンブラン(栗きんとん)がものすごく美味しそうだったなぁ~
ドンツクドンドンツクツク…。
たしか11~13だったと。昨日は池上通りもどこの細い道も車は全部規制されてました。
我が家のに方にもじきに万灯サッサは廻ってくると思います、各講中が日にちをずらしてあちこち廻ってますからね。