GSゲルマニウム原人の退屈な日々

見わたせば、気になることばかりなり・・

ブルースセッションでもどう?

笑う蜘蛛は桃の味

2013年04月22日 09時17分11秒 | 美術
中学時代、行動美術会の田中稔之先生のアトリエに毎週日曜に通っていた。

今と違って土曜は半ドン、休日は日曜のみの時代だったから完全休養日の半分…朝から昼までが使えなくなること、さらに我が家からバスで蒲田に出て、さらに西口から出て居る「代田四丁目行」に乗り換えて馬込の「学研前」で降りる。

寝坊も出来ない♪

でも、帰りに蒲田の宇宙堂でなけなしの小遣いで「ヴァーミリオン」とか買った時のドキドキ感…中学生にとっては決死の覚悟で財布を開くくらいの値段だったんだよなぁ♪

そうそう、駅ビルの宇宙堂で絵の具とかカンバスを選んでいるときに、ふと足下を見たら巨大な革靴の人が横に立って一緒に絵の具を選んでいたっけ。

ビックリして横を見たら壁!!

で、上を見上げたら…なんと!ジャイアント馬場w

彼も絵が趣味だって事はなにげに知っていたけれど、まさか同じ店で並んで買い物とは(≧∇≦)一生の思い出だなぁ。

で…

日曜日の朝、アトリエに通う華奢な肩から画箱を下げた紅顔の美少年の俺…

まぁそういうことにしておいてw

たしかこの画材道具やパレットを入れる箱…なにせチビだったので、この箱も親父が作ったようなうっすらとした記憶があるんだけど…箱の中はブリキの仕切りになっているが、これもいとこの旦那のトタン職人「尾崎さん」に頼んだんじゃ無かったろうか?

とにかく市販の物では無かったか、あるいは市販の物をベースに改造したか…。

最初は水彩から途中から油彩になって、静物画は良く描かされた。

その頃、一番影響を受けたのがこの「オディロン・ルドン」の晩年、黒い時代から色をたくさん使うようになってからの花の絵だった。

もちろん、あんな上手に描けるわけも無いので「気分だけ」の影響だけれど♪

抽象やシュルレアリスム的な作品を書いていいときは「ジョルジュ・ルオー」の影響が強かったなぁ…彼は全然抽象じゃ無いけどwこれまた「気分だけ」はルオーの黒い縁取り♪

中三の時に受験もあるのでアトリエは辞めたけれど、なんか画家にはあこがれていたね。

思うんだけどさ。

世間的に言えば「跡取りの長男」に学習塾もそろばん教室も行かせないで、小学校のころから絵画教室とかその後のアトリエとか…まぁ~~~非生産的なことを学ばせる親って♪素敵っちゃぁステキだけど「何考えてるんだ」てな?

結局、美術学校に入ったものの本人の方がよっぽど現実的な人間だったので「絵で飯が食えるか!」ってなもんですよ。

まぁ、あと音楽始めちゃったからなぁ…できあがった物を見てもらうというパフォーマンスよりも、自分自身が人の前でパフォーマンスするほうが手っ取り早いってタイプだし、高校の頃からは千葉高校や習志野高校の奴と今で言うところのインスタレーション的な事を始めちゃったのも大きいかな。

ってなことを、思い出しながらの昨日の新宿「ルドン展」を見てて思い出したこと。

笑う蜘蛛の金太郎飴は桃の味だった。
コメント
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