どうもこんにちは
日銀の人事では白川氏の総裁が認定されて、自民党の出していた天下り的な副総裁のほうは落ちたようですが、まあこれでよかったんじゃないですか、副総裁なら時間をかけて話し合ってもいいわけですし
今の世の中は、やはり経済構造の転換期、そしてグローバル金融という強大な虚構経済との共存、という大きな経済的課題と向き合うべき時ですから、こういう問題に対しては慣習によらず、できるだけ最良の形を目指すべく努力をすべきで、そういう意味において今回のことはよかったのではないかと思います。
これから先、世界的な経済は、何らかの恐慌的な混乱がおきるのではないかといわれています、そしてそういうリセッション的な状況下においてどう振舞うかという事が、それ以降の自らの立場を大きく変える手段になるでしょう、
今の日本は弱体化していますが、これを変えることだってできなくはないわけですよ、そして逆に最悪化する可能性もあるわけです。
聞いた話ではアメリカは経済成長がマイナス成長になるではないかといわれているようで、しかもバブルの不良債権化とかも考えると日本のように長期的な問題になる恐れがある、
そうなればドルの立場は揺らぎ、アメリカの債権もおかしくなってくる、そしてそういう状況が来ようとしている時に、日本はその両方を多量に持っているのである。
だからこれをどうさばくかなんですよね、他の国もそうだけど日本が一番危ない、なんたって自民党はアメリカの傀儡に過ぎないわけだから、アメリカがさばかせるわけがなく、そしてそういう問題を中国あたりと組んで日本に押し付けようとするだろう、
そういう状況になったら自民党はそれを丸呑みにして、、、って感じですか、このまま自民党体制が進めば、完全に終わりますねこりゃ。
だから今回のことは異論もあるようだけど、長い目で見ればいい保険になったのではないかなと思います、これがもし自民党案の丸呑みだったら危なかったんじゃないですか、
これから起こることはアメリカの弱体化によって、冷戦構造が経済的に崩れることで、その崩れた破片があちこちに飛び散ってくるのはわかっているのだから、対処を考えておくべきだし、それにこれからの日米関係も変えていく必要性もあるでしょうから、そういう意味では今回のことは一歩前進といえるのではないかと思います。
さて、それはいいとして今日は、強制市場と自由市場、ということでも書いてみようかと、前回書いたことと似ているのですが、経済全体の機構で見た場合、政府と民間の経済関係は、政府が強制的である(税金等)であるのに対し、民間のほうは経済活動は自由であるので、見方によっては強制的経済と自由的経済の二つの関係のように見ることもできると思います。
ではその二つの経済活動の関係とは何であるのか?、なんだかもうどこかでちゃんとした学問になってそうなテーマですが、まあ今のような偏った世の中から見て、感じたことでも書いてみると。
それで強制市場と自由市場ということで、前回は政府という経済活動の停滞が、日本の活性化と阻んでいる、というようなことを書いたような気がするのですが、新自由主義によってどんどん政府機能が低下し、それによって世の中が悪くなり経済が悪化した、新自由主義によって経済は良くなるだろうといっていましたが、全然よくならなかったですね。
で、その原因を見ていくと、経済の無軌道さというのが目に付くと思います、意味もなく金持ちになったり、本人の問題ではないのに貧しくなったり、そういう無軌道な経済というものは、確かに一見活力を生むように見えますが、何よりバランスが悪いので、長期的に見るとだいたい失敗するようです。
経済が循環であるならば、その回転は何らかの安定性がいるわけで、経済が止まっちゃいけませんけど、経済が活動的に動いて経済が不安定になってもいけない、ここら辺が微妙なんですが、経済というものは止まっちゃいけないけど下手に動いてもいけない、そういう繊細なものではないかと思うのです、
であるならば、民営化、もしくは民間企業の活力を絶対化していく、新自由主義では上で書いた、経済が下手に動き回って安定しない、そういう経済的失敗を生む要素があると思います。
ですから新自由主義的経済政策というものは、確かに活力を生む余地はあるのですが、同時に経済不安を起す問題もある、この二面性に対して対処できるのならば新自由主義も、成り立つ可能性もあるでしょう、
ただし新自由主義の短所を消せば長所も消えるので、実際のところは新自由主義というのは一時的対処法であり、恒久的手法にはならないのでしょうけどね。
まあとにかく、経済全体の循環として考えた場合、経済の循環の活性化と、経済の安定化は相反する概念であり、これがたぶん民間と政府の二つの経済活動に分かれているのでしょう、 そしてそれを市場に見立てると、自由的市場という円と、強制的市場という二つの円の相関関係、そのつながりによって経済をどうするかという最終的な形が決まってくるのだと思います。
二つの回転する円は相反する概念ですから、同じところには立てませんが、つながり合う事はできます、そしてその形はメビウスの輪のように表が裏で裏が表のような、よじれたつながりになるでしょう、
だからどっちかを正当化するとどっちがを否定してしまって、経済全体がおかしくなってしまう、新自由主義と共産主義の欠点はここにあるのでしょう。
まあ、なんにしろこういうかたち、政府と民間という二つの経済の形、一方は経済を調整し、一方は経済を活性化する、その二つの相反する概念を調整しつつ全体の経済活動を作り出していく、 こういうことを考える事こそ本当の意味での経済をどうするか、という問題なのではないかと思います。
それでは今は週二回ですので、次回は来週の火曜になります、では次回まで。
日銀の人事では白川氏の総裁が認定されて、自民党の出していた天下り的な副総裁のほうは落ちたようですが、まあこれでよかったんじゃないですか、副総裁なら時間をかけて話し合ってもいいわけですし
今の世の中は、やはり経済構造の転換期、そしてグローバル金融という強大な虚構経済との共存、という大きな経済的課題と向き合うべき時ですから、こういう問題に対しては慣習によらず、できるだけ最良の形を目指すべく努力をすべきで、そういう意味において今回のことはよかったのではないかと思います。
これから先、世界的な経済は、何らかの恐慌的な混乱がおきるのではないかといわれています、そしてそういうリセッション的な状況下においてどう振舞うかという事が、それ以降の自らの立場を大きく変える手段になるでしょう、
今の日本は弱体化していますが、これを変えることだってできなくはないわけですよ、そして逆に最悪化する可能性もあるわけです。
聞いた話ではアメリカは経済成長がマイナス成長になるではないかといわれているようで、しかもバブルの不良債権化とかも考えると日本のように長期的な問題になる恐れがある、
そうなればドルの立場は揺らぎ、アメリカの債権もおかしくなってくる、そしてそういう状況が来ようとしている時に、日本はその両方を多量に持っているのである。
だからこれをどうさばくかなんですよね、他の国もそうだけど日本が一番危ない、なんたって自民党はアメリカの傀儡に過ぎないわけだから、アメリカがさばかせるわけがなく、そしてそういう問題を中国あたりと組んで日本に押し付けようとするだろう、
そういう状況になったら自民党はそれを丸呑みにして、、、って感じですか、このまま自民党体制が進めば、完全に終わりますねこりゃ。
だから今回のことは異論もあるようだけど、長い目で見ればいい保険になったのではないかなと思います、これがもし自民党案の丸呑みだったら危なかったんじゃないですか、
これから起こることはアメリカの弱体化によって、冷戦構造が経済的に崩れることで、その崩れた破片があちこちに飛び散ってくるのはわかっているのだから、対処を考えておくべきだし、それにこれからの日米関係も変えていく必要性もあるでしょうから、そういう意味では今回のことは一歩前進といえるのではないかと思います。
さて、それはいいとして今日は、強制市場と自由市場、ということでも書いてみようかと、前回書いたことと似ているのですが、経済全体の機構で見た場合、政府と民間の経済関係は、政府が強制的である(税金等)であるのに対し、民間のほうは経済活動は自由であるので、見方によっては強制的経済と自由的経済の二つの関係のように見ることもできると思います。
ではその二つの経済活動の関係とは何であるのか?、なんだかもうどこかでちゃんとした学問になってそうなテーマですが、まあ今のような偏った世の中から見て、感じたことでも書いてみると。
それで強制市場と自由市場ということで、前回は政府という経済活動の停滞が、日本の活性化と阻んでいる、というようなことを書いたような気がするのですが、新自由主義によってどんどん政府機能が低下し、それによって世の中が悪くなり経済が悪化した、新自由主義によって経済は良くなるだろうといっていましたが、全然よくならなかったですね。
で、その原因を見ていくと、経済の無軌道さというのが目に付くと思います、意味もなく金持ちになったり、本人の問題ではないのに貧しくなったり、そういう無軌道な経済というものは、確かに一見活力を生むように見えますが、何よりバランスが悪いので、長期的に見るとだいたい失敗するようです。
経済が循環であるならば、その回転は何らかの安定性がいるわけで、経済が止まっちゃいけませんけど、経済が活動的に動いて経済が不安定になってもいけない、ここら辺が微妙なんですが、経済というものは止まっちゃいけないけど下手に動いてもいけない、そういう繊細なものではないかと思うのです、
であるならば、民営化、もしくは民間企業の活力を絶対化していく、新自由主義では上で書いた、経済が下手に動き回って安定しない、そういう経済的失敗を生む要素があると思います。
ですから新自由主義的経済政策というものは、確かに活力を生む余地はあるのですが、同時に経済不安を起す問題もある、この二面性に対して対処できるのならば新自由主義も、成り立つ可能性もあるでしょう、
ただし新自由主義の短所を消せば長所も消えるので、実際のところは新自由主義というのは一時的対処法であり、恒久的手法にはならないのでしょうけどね。
まあとにかく、経済全体の循環として考えた場合、経済の循環の活性化と、経済の安定化は相反する概念であり、これがたぶん民間と政府の二つの経済活動に分かれているのでしょう、 そしてそれを市場に見立てると、自由的市場という円と、強制的市場という二つの円の相関関係、そのつながりによって経済をどうするかという最終的な形が決まってくるのだと思います。
二つの回転する円は相反する概念ですから、同じところには立てませんが、つながり合う事はできます、そしてその形はメビウスの輪のように表が裏で裏が表のような、よじれたつながりになるでしょう、
だからどっちかを正当化するとどっちがを否定してしまって、経済全体がおかしくなってしまう、新自由主義と共産主義の欠点はここにあるのでしょう。
まあ、なんにしろこういうかたち、政府と民間という二つの経済の形、一方は経済を調整し、一方は経済を活性化する、その二つの相反する概念を調整しつつ全体の経済活動を作り出していく、 こういうことを考える事こそ本当の意味での経済をどうするか、という問題なのではないかと思います。
それでは今は週二回ですので、次回は来週の火曜になります、では次回まで。