深*龍宮の使いのブログ

色々なことを書いていきたいと思います、よろしくお願いします。

人生を定めることはできるか?、

2008-03-26 13:39:30 | 社会

    どうもこんにちは

 

  なんだかいろいろなことがあって何から書けばいいのか、と思ったりするですけど、 そうですね、、、来週になるとガソリンが下がりますね、多分下がったら与党は終わりでしょう、解散総選挙か自滅か、どっちかを選ばされるのではないでしょうか、    

  今のガソリンは価格がおかしいですから、ちょうど25円くらい下がれば何とかなる値段になりますし、今のようなインフレ傾向の状態では間接税の引き下げというのが効果があるので、これからは間接税を引き下げつつ、直接税を上げるという方向性になるでしょう、となるとこの点でも新自由主義金持ち優遇である自民党は将来性はなさそうですね。


  ただ、今起きているインフレは国内的な問題ではなく、国際的な問題であり長期化しそうですから長い目で見て、何らかの対策を考える必要はあると思います。

  前回も書きましたが、国際的に見て通貨が流れすぎているようなところが今はあって、 諸外国が通貨を発行して、それがどっかの国にいくのではなくてグローバル経済という巨大な虚構に飲み込まれている、そしてそれがインフレの原因なっているようです。


  だから今起きているインフレは、日銀が発行した円が原因である可能性もあって、ここ数年日銀は多量の円を市場に流していましたが、通貨を多量に流した割には国内はインフレにはならなかった、となると流していた通貨の多くは海外に流れていた可能性が高い、

  また、金融であれば国内であっても、海外への投資をすれば、その中間で貨幣が国家ではなくグローバル経済へと吸収される、

  つまり金融を強化し、中央銀行が資金供給をすればするほど、グローバル経済は肥え太り、そのひずみが反動として現れる、


  まあそういう意味では今のインフレは、今まで日本がやってきた経済運営の失政の反動のようなもので、日本の関与はそう大きくはないでしょうが、関与はしてたわけですから、この辺りに対する修正というものをこれからは考える必要があると思います、

  そしてその問題に対処するためにも、その問題に対処できるのは日銀ですから、その総裁の人物をちゃんと選んで、自民党の言うような天下り案ではなく、日本の状況をよくできる人物を選び、その上で今までやったことのひずみが出てしまったのはしかたがないとしても、それに対する修正として間接税関係を下げたり、経済変動があっても国民が生きれるように社会保障関係の充実をしたり、そういうことをしていく必要性が今はあると思います、

  そして、そのためには早急に自民党を始末するべきで、こいつらを切り捨てれないと非常に危険になるでしょう、早ければ早いほうが良い、自民党は今となってはガン細胞のようなものですから、早くきらないと収集がつかなくなる恐れがあるように思います。

 


  さて、それはいいとして今日は、人生を定めることはできるか?、ということでも書いてみようかと、私が常々思うのですけど、ここ十年くらい社会変化を見てみると、かなりはげしいですよね、昔の世の中は終身雇用年功序列で、確か出世はすべて形式的に決まってて実力でいけるのは係長まで、でしたか、確かそんな世の中だったと思います、


  しかし今の世の中を見てみれば分るとおり、そんなものはまったく成立しておらず、影も形もありません、 ほんの少し前には絶対こうだといわれていたものが、今になってみると完全に消えている、こういうことを考えて思うのが、はたして人生はこうであると定めれるのか?、まあそんなことを思ったので書いてみると。


  それで人生を定めることをできるか?、ということで、よく年配の方は人生とはこうであるといわれますが、まあしかし今のように社会変化が激しいと、なかなかそういうことを言ったとしてもうまく行くことはないでしょう、

  では今の時代、もしくはこれからの時代、人生観というものはどうであることが正しいのか、考えねばならないのではないでしょうか?、
  

  私が思うに人の生き方がどうであるということは、将来に於いてその人の人生がどうなってくるかということですから、未来予測になりますよね、

  未来を予測するということは、確かにある程度はできるのですけど、今のように近代的な世の中では、社会変化が激しいですから、未来を予測できたとしてもその範囲が非常に狭い。


  また今の世の中は人の生き方も多様化し、この流れはよほどのことがない限り変わらないでしょう、そうなってくると人の生き方の基準化ができず、これまた人生を定めることができなくなる。



  社会変化が激しく人の生き方がバラバラになってきた今の世の中では、人生というものがほとんどその人のオーダーメイド的な、その人にしか意味のない、もしくはその人にしか分らないものにだんだん変わりつつある、

  そもそも基準とは方向性を指すものであり、それ自体が絶対性を持つものではなく、方向性が変われば基準も変わる、今の時代の基準は方向性があまりにバラバラなので、基準もバラバラになる、そういう状況における人生論は、はたして何が良いのか、


  定めれない人生を論じる、もしこういう論ができれば人生を定めることもできるでしょう、まあ何か矛盾していますが、

  とにかくこの10年くらいの世の中、そして今の世の中を見ても、人生を統一的に定めるのは不可能になってきた、それは明確に言えるのではないでしょうか、

  そして今問われている人生論は、そういう状況下における人の生き方を指し示すものでなければならず、それは人間を中心にした世界論ではなく、世界を中心にした人間論のような、人を外から見たように考えた空間論的なものになるはず、ちょっと大きな論になるでしょう、

  まあいずれたぶん、この流れは変わるのかもしれませんが、ひとまずはこういう、人生はこうであるという統一基準論はやめて、できるだけ広い人生論というものを考えてみたほうが、現実的ではないかと思います。

 

 

 

    それでは来週は休もうかと思っていたのですが、なんだかいろいろありそうなので、続けて書こうかと思います、ですので次回は来週の火曜になります、では次回まで。