深*龍宮の使いのブログ

色々なことを書いていきたいと思います、よろしくお願いします。

知るという事は、重みがある、

2006-03-31 13:33:43 | 私の考え方
    どうもこんにちは


  そういえば前回、最近は暖かくなってと書いたら、急に寒くなったので、今日は寒くてしょうがないなあ、と書いておけば、少しは暖かくなったり、、、はしないか、しかし、なんだか妙な気象ですね最近は、何か激しい波のように、暖かい日や寒い日が訪れる、やはり何かの気象コントロールが壊れているのかもしれません。 さて、それはいいとして、今日は、知るという事は、重みがある、という事でも、まあなんとなく、色々世の中には情報がありますが、その今の時代にある多量の情報、そういうものを知る事というのは、知るという事がかえって、問題になる時があるのではないかと、知れば良くなる、知識が増える、という形ではなくて、知れば知るほど泥沼に沈むような、そういう感じがいまの時代にはあるように思います、そういう点を考えていくと、知るという事は、重みがあるのではないか?、そういう事を思いついたので、今の様な情報多過な時代では、考えるべき事だと思うので、そういう事でも書いてみようかと。


  まず、知るという事には、重みがある、ということで、重みともいえますが、別の例え方だと、消化の必要がある、そうともいえると思います、ある種情報とは、食料のようなもので、得たら得た分消化しないといけない、消化ができないと自分という人間のなかに、不純物のように残って混ざる事になり、自分という人間が段階的に、ずれたり、狂いが生じる、それはやはり、最初に戻って、知るという事には重みがあるから、知った分だけ人間は沈む、もちろん時間とともに、回復はしてきますが、知るという事のデメリットは必ずある、その重さを吟味しつつ、 さて、その情報を知る事によるメリットと、知る事による重みの重課、その二つを天秤にかけ、メリットがあるなら知るべき、なければ知らないほうがいい、そういうバランスのとり方が必要ではないかと思います。


  人や人のやる事とは、独楽(こま)のようにくるくる回り、その回転のよさのようなものを、問われる事が多い、回転してぐるぐる色々出来る人のほうが、評価されやすいというか、あれこれ頼まれやすいし、上手くいきやすい、まあ、それでそれはたとえなのですけど、そういう意味において、知るという事の重さが、どう関わってくるかというと、やはりこまというものは、重心のバランスがよい事が問われるわけで、それが悪いと上手く回らない、人間の性質をこまに例えるとすると、大きさ形というものは個性だと思いますが、やはり人の評価はそのバランスの良さになると思います、たとえ大きなものでも回らないと意味がないし、一見形が悪くても、ちゃんと回ってくれれば文句はない、そのためには、バランスをどうとるか、そういう事を考えた方がよいと思います。


  人間のバランスのとり方、というものは人それぞれ、その人しだいではありますが、しかし共通している所があるとすれば、物を知るという事だと思います、ならばそれをどうするか?、これがやはり今のような情報が多い時代では、必要になると思います、例えば、一般の新聞などでは、雑多な情報を多量に仕入れるという事になります、またそういう情報媒体は情報操作の癖を持っているので、その癖の分情報というものを得ても、他の情報より、バランスをとるのが難しくなる、そのあたりを総合的に見ると、非常にバランスをとるのが難しい。 現代では自分というもののバランスをとるのが、なかなか難くなってきていて、いまの世の中は常に情報にさらされて、しかもそれを常に消化しなければならない羽目になっているので、そうなるとどうしてもバランスを崩してしまう、そしてバランスを崩しても、情報の洪水は止まらず、完全におかしくなってしまう事も少なくはない。


  だから、今のような時代では、まず、知るという事は、重みがある、そこから考えていかないといけないような気がします、知識が増える事が返って悪である場合、物事を知って行くという姿勢が案外間違いである事、100%ではないですが、そういう時もある、特に最近のような、マスコミが完全に、自分の都合を通すようになってくると、マスコミを見ている対象者は、マスコミにとって財源資源のような形に、マスコミは考えるようになる、そうなればマスコミの情報を、知るという事が危険な場合もあり、場合によっては致命傷になる事も、案外あるような気もします。 


  全体で言えるのは、まず自分をみて、自分の形を見て、それに合うような情報知識を得る方法を考えてから、情報を得るようにする方が正解のような気がします、ようはこまの回転のように、バランスよく回るという事を目指すべきですから、それが雑多な情報に振りまわされれば、自分自身のバランスが取れなくなり、誰かに操られたり、自分という人間を動かす事すら難しくなる、そうならないためにも、知るという事に対し、注意をはらって、自分にとって知るという事が、過剰にならないような方策を今のような情報が多い時代では、考えおいた方がいいような、そんな気もします。



    それでは、今日は金曜ですので、次回は月曜になります、では、良い週末を。