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名古屋の白ウサギ・1964年生

自称・宗教家・・宗教家とは職業ではなく「私の生き方」です。
職業・会社員、投資家  趣味・偽善事業

UFOの正体

2012-11-03 | 思う事


私は高校生の頃から
未知なる世界に大きな興味を持っていた
この事が宗教の世界に関心を持たせるキッカケとなった

当時、幼い私は、
超能力、UFO、宇宙人、テレパシー、死後の世界、怪奇現象、
こう言った事にも大いに関心があった

なぜかこれらのお話と、宗教とは相性が良いと見えて
オカルト的な雑誌や本を読んでいると
宗教的な世界と関連付けられている

20歳頃までは、UFOの存在を信じていた
信じていたと言うより、
「宇宙人の存在を期待していた」
と言ったほうが正しいのかもしれない

徹底的に調べてみた

結果

「 残念ながら UFOは存在しない 」 という結論に達した

宇宙の歴史の長さから言えば
地球に生命が存在している期間はホンの一瞬
ホンの一瞬のこのタイミングに
他の惑星に、偶然、知的生物がいるなどと言った話は、おかしすぎる
ましてや、その生命体がUFOに乗って地球にやって来るなど
あり得ない

当時、メディアや、雑誌などで、

「 有力な科学者の証言 」

だとか、

「 CIAの極秘資料入手 」

とか言ったモットもらしい報道が流されていた

宇宙人は地球人に、核兵器や原子力を止めさせるためのメッセージを伝えにやって来ている・・・・

宇宙人は地球に、戦争のない世界を実現させようとしている・・・・

宇宙人は、人間にテレパシーでメッセージを送っている・・・・・

宇宙人は地球に愛と平和のメッセージを送っている・・・・


話の行き着くところ、限りなく宗教的になって来た

どうして宇宙人がテレパシーで意思を伝えなければならないのか?
何か言いたい事があれば、UFOで地球まで来る技術力があるのだから
その技術力で地球人に意思を伝えればいい
にもかかわらず、宇宙人とテレパシーはセットになっている

宇宙人を「 神様 」 のような位置づけにしたいような気配を感じた

これもある種の 宗教 だ

‘神‘の変わりに ‘ 宇宙人 ‘を持ってきただけではないだろうか

よくよく調べてみると‘有力な科学者‘ とは
マスコミが勝手に命名しただけの ‘有力者‘であり
怪しい科学者ばかり
当時、その手の科学者はほとんど 共産圏の科学者だった
その背後には、何かの政治的策略が感じられた

当時、私は思った・・・・

近いうちにソ連は崩壊するだろう・・・

ソ連が崩壊するとこの手のお話は極端に減るだろう・・・・

やがて私の期待どおり、ソビエト帝国は崩壊した
これは私にとって大きな喜びであった
当時、の私は血気盛んだった
ソビエト帝国崩壊 のニュースを見ながら万歳三唱をした

思ったとうり、 UFOの話や宇宙人の話は
それ以後激減した。
いつの間にか、UFO と言う言葉も 死語 になっていた

現代の状況では

「 環境問題 云々 」

「 二酸化炭素による地球温暖化 」

「 原子力発電に対するヒステリックな批判 」

これらの エコブーム
何か怪しげな気がする
UFO 神話と
同じ性質のように思えてならない

純粋な善良な人を巻き込んで何かを企む勢力の気配がする・・・

昔から UFOに限らず

オカルト的なお話や情報は
宗教と ごちゃ混ぜになっているように感じていた
オカルトには大いに興味があったが
宗教と混同しては危険であると思えて
宗教とオカルト的なお話は切り離して考えていた

それから30年経った現在、
やはり、基本的にはその考えは方は変わらない

でも、少しだけ変わった事もある


いくら、宗教の 「 法 」 (理論)

を並べたところで、

霊感や、直感がまるでない宗教家や、信仰者、は


豆腐の入っていない豆腐汁

のように思える

人格が立派であれば問題はないだろうが

それでは、単なる善良な市民に過ぎない

善良な一市民ではあるが、それ以上の功績は期待できない


奇跡が起こせなくては宗教家でない

どんな立派な理屈を並べたところで、奇跡が起きなければ
それは単なる 気休め ではなかろうか

不幸な人はいくらでもいる
苦しみや悲しみに耐え、懸命に生きる人間が多くいる
残酷なもので、そういう人は更に これでもか! これでもか!
と言わんばかりに不運が押し寄せる

悲しい・・・・・
苦しむ人を助けたい・・・

前向きな態度で 救いを求める者に対しては
神の召使として、何とかしなければならない!!!!

多くの悩める者を臨機応変な対応で救済出来なければ宗教家ではない

それには、やはり、

鋭い直感力と 洞察力、ある程度の予知能力 がなければどうにもならない 


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三島由紀夫 曰く

2012-11-02 | 思う事


三島由紀夫 著 『三島由紀夫評論全集』 4巻 「川端康成氏再説」の一節


無神論も、徹底すれば徹底するほど、唯一神信仰の裏返しにすぎぬ。

無気力も、徹底すれば徹底するほど、情熱の裏返しにすぎぬ。

近ごろはやりの反小説も、小説の裏返しにすぎぬ。



若い頃

私は、無神論者を軽蔑していた

神を信じない人間は

人格に何らかの欠陥があり

魂の霊的レベルの低い人間であると決め付けていた


でも、今はそうは思っていない


多くの人間を観察してきて思う事だが




人望や、人徳、実績は

神を信ずる、信じない

とは無関係に思える




人間の堕落や腐敗は

神を信じる、信じない、という事に対して

決定的な因果関係はないように思える・・・


四つのタイプに分類するなら


① 神を信じていて 信仰心が強く、奉仕の精神が旺盛で、他人に幸福を与える人。


②  神を信じているにも関わらず、犯罪を犯す人、他人に迷惑をかける人

   利己主義な人、他人に不快感を与える人、人を不幸にする人



③  神を信じていないが奉仕の精神をもち、他人に幸福を与えるひと。


④  神を信じていなくて、犯罪を犯したり、他人に迷惑をかける人、

   他人を不幸にする人



この中で一番罪の重い人間はどのタイプだろう?


私は


②  神を信じているにも関わらず、犯罪を犯す人、他人に迷惑をかける人

   利己主義な人、他人に不快感を与える人、人を不幸にする人


だと思っている


こういう人を何人か見た事がある

私の一番嫌いなタイプの人間である


ならば一番立派な人は?


① と ③ のタイプだと思う


特に、③ の

神を信じていないが奉仕の精神をもち、他人に幸福を与えるひと。

こういう人は人間味があって

私の目から見て好感が持てる

実に魅力的

神仏を否定する人の話や

「 あの世 」を否定する人の話は

興味深く 面白い

そういう話をする人が

立派な人であればある程、頼もしく思えてならない














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