before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

幕末をトンガで考える。

2007-10-03 09:56:45 | トンガ 青年海外協力隊活動記
吉田松陰は 29歳の若さでこの世を去ったということを 最近 本で知った。
私は これまで松蔭は30代後半で死んだのだと思っていたので、ちょっと衝撃だった。
29歳という若さで、松下村塾を開き 門弟に慕われ 彼らに大きな影響を与え、そして自分は死に向かって突っ走っていった。
彼の死後も 、門弟の中から 尊攘運動や明治維新で大活躍した者がたくさん排出された。

今から130年以上前の話。
私は今27歳。あと1年で 松蔭が松下村塾を開いた年齢と同じ歳になる。
まあ、吉田松陰とか 幕末、明治維新等々偉業を成し遂げた偉人達と自分を同等に考えて比較するのは浅はかですが、ただ彼らの年齢と今の自分の年齢とだけを考えて比較してみると やっぱり私はまだまだ青二才だー と思わされる。
ちなみに年齢ネタで、「幕末史の奇跡的存在」(かっこいい表現ですねー)坂本竜馬は33歳でこの世を去る。
さらに、ちなみに、パッカーのバイブル(?)「深夜特急」の著者 沢木耕太郎がユーラシア大陸横断の旅に出たのが27歳(だったよね?)。ゴーダマシッダールダは35歳で悟りを開き仏陀になる。

まあ そんなことは別として 幕末って面白い。
あたしがもし男で、幕末に生きていたら、間違いなく死に急いでいたタイプに属していただろうなー。
基本的に 私は猪突猛進タイプなので、「自分は生き抜いて革命後の日本を支えるのだ」などという 思慮深い考え方はできなかっただろう。
おそらく、京都なんかにむらがっていた脱藩志士たちと 熱く攘夷論、倒幕論などを語り明かし、明日をも知れぬ命という状況の中で それでも歴史を変えるのだなんてかっこつけていただろうなー
だって あたしって ナルシストやん?

松蔭は「体は私なり 心は公なり」という言葉を残しているそうだ。
この言葉を知った時、インドの哲学“梵我一如”と通じている!?と 大興奮したが、
ようするに
「私(体)を こきつかって 公に殉ずる者を大人(立派な男)といい、公をこきつかって私に殉ずるものを小人(つまらぬ男)と言う。小人が死ねば その肉体が朽ちるだけだが、大人は死すとも天地の理の中で生きている」ということだそうだ。うーん まさに 幕末を生きた人という感じだ。

私は 男でもなければ 侍でもなく 幕末というある意味特殊な時代を生きているわけでもないが、
いつだったが、大学生のころ バックパッカーで放浪しまくっていた時、インド-ネパール国境越えの長距離ゲロバス(悪路ゆえ、乗客のインド人ネパール人が頻繁に吐く:詳細はわたくしのHPに載ってます。)の車内で乗り合わせた旅人と話していた時、自分の人生観を話していたら「それは Samurai spiritだね」と言われたことがあった。
当時、たしか「わたしは 死ぬ瞬間の為に生きている。」という とんでもないハードボイルドな ルー大柴だってびっくりな ナルシスト発言をしたと思う。「いかに死ぬか」たしかにそれは 武士道と通じるところがあるのかもしれないなあ。

どんなにお金があっても どんなに美しく着飾っても あの世にまでそれらを持って行くことはできない。
どんなにすばらしい地位や誉をもらったって 死んでしまったら それで終わり。
じゃあ どうして 生きているのだろう。おそらく、死ぬ瞬間に自分の人生に満足するためではないだろうか。(あれをしておけばよかった。)(あの人にこれを伝えておけばよかった。)と後悔しても遅い。でも きっと人間は欲深いから 死ぬ瞬間に1つも後悔のないことなんてありえない。けれど 死ぬ瞬間にその後悔が一つでも少ないように 今自分のやりたいことを 自分のできることを 今 やっていきたい。
今できることは今やる。だって明日はないかもしれない。

幕末の志士たちと比べたら 時間はあるのかもしれないが、命がいつ終わるのか 誰も知らない。
それは 130年前も 今も 同じだ。

後悔のない人生はない。でも やる前に後悔するより やった後に後悔した方がいい。そりゃそーだ。
失敗の多い人生のほうがおもしろい。だって 一回しか生きられないじゃん。いっぱい 失敗しとこー 
No 失敗 No ライフ。 
ちなみに、今回のテーマ幕末に絡めてしめるとすると、100年以上も前、京都をはじめとしてたくさんの血が流れる中、幕府の一存で日米修好通商条約が締結され、結果日本が開国したことにより 今あたしはトンガにいることができるのだ。むむーん ちょっとむりやり こじつけたかね?

写真は エウアの侍。あ 私の同僚。