1 世界は成立していることがらの総体である。
1.1 世界は事実の総体であり、ものの総体ではない。
1.11 世界は諸事実によって、そしてそれが事実のすべてであることによって、規定されている。
世界が事実の総体ならば、あらゆることは論理によって明晰である、とLWは考えたのだろう。事実は命題として言葉で明瞭に語ることができる。
しかし、ことはそう簡単ではないような気がする。龍樹なら、「言葉ではこの世界のうちの指先ほども切り取れない。」と言いそうだ。しょせん言葉は、人間の共通の生活習慣という視点から規定されたものにすぎないからだ。そして、その「共通の生活習慣」というものも各人が恣意的にそうみなしているに過ぎない。
ウィトゲンシュタインは、「私的言語というものはない。」と言うが、言語が指し示すものに『本質』というものがなければ、真の公共原語というものもまたないのではなかろうか。龍樹は言語ではこの世界の実相を表現できないと主張する。
以下は、龍樹とウィトゲンシュタイン(LW)の新春対談である。
龍樹: 「あんた、世界は命題によって語りつくすことができるゆうてるようやけどほんまか?」
LW: 「本当だ、私の考えた論理空間には、考えうるあらゆる事態が含まれており、
当然その中にはすべての事実が含まれていることになる。」
龍樹: 「それで、その事実の総体を『世界』と言ってしまってええんか?」
LW: 「なにか文句あるかね? 『世界』というのに足りないものがあるなら言ってくれたまえ。」
龍樹: 「論理空間には考えうるあらゆる事態が含まれてるんやから、言えるわけないやないか。」
LW: 「だったら問題ないじゃないか。言えないのなら黙ってなよ。」
龍樹: 「ほなら確認するけど、『2017年1月3日に、御坊哲が江の島大橋を歩いて渡った。』ちゅうのも
論理空間には書き込まれているわけやな?」
LW: 「然り。」
龍樹: 「そのとき江の島大橋を1013歩で渡り切ったと言うんも
書いてあるよな。」
LW: 「当たり前だ。」
龍樹: 「523歩目の歩幅は75.3cmちゅうんも、886歩目で御坊哲の左の鼻の穴から0.01gの鼻くそが
落ちたのも書いてあるのやな?」
LW: 「しつこいなぁ、もう。書いてあるよ。論理空間には細胞や分子単位で毎秒ごとに
その状態が書かれてるんだよ。」
龍樹: 「ほうっ、分子単位、毎秒ごと。ふーん。ふっふふ。」
LW: 「なっ、なんだその笑いは。」
龍樹: 「素粒子単位、マイクロ秒単位には書かれてないんか?」
LW: 「もうっ、ほんとにしつこいなあ。クォーク単位でもピコ秒単位でも、あんたの思いつく限り細かく
書かれているよ。」
龍樹: 「ほな、時間的にも空間的にも無限小単位に書かれていると考えてええんやな。」
LW: 「かまわないけど。」
龍樹: 「時刻表示が無理数になってしまうで。命題を表現する文字数も無限になってしまうがな。」
LW: 「ちょっと待て、プランク定数との絡みで最小の距離と時間があると聞いたぜ。」
龍樹: 「それはもう確定した理論になっとるんか? あんたの哲学は最新の科学の知見を使わんと
成り立たんのか?」
LW: 「‥‥‥」
※注意 ここに登場しているLWはあくまで「論理哲学論考」の内容からのみ組み立てたもので、実際のヴィトゲンシュタインの主張ではありません。特に後期ヴィトゲンシュタインの主張とは大きくかけ離れています。
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新年少し笑えました。
論理哲学論考は自分の修論のテーマでそうとう詳しくやりました。
世界が語りつくせるかどうか、については、
仮に語りつくせたとしても、「語る」ということは世界の解明だけではない。
のだろうとおもっています。
ひょっとすると科学が進歩するとすべて語りつくせるかもしれない。
しかし、人間が言語を使うときの目的というのは事実の解明だけでないので、そこにいろいろの余白が生じてくるとおもいます。
たとえば科学的に正確な表現であっても、ポップミュージックとしてはいいとは限らない。
科学的に正確であっても、日常生活ではそこまで細かい情報はいらない。
科学的に正確に語るということだけが言語の目的ではないので、正確に語りえるかどうかと別に、哲学や言語はどういう形態をとるべきか?という問題があるとおもいます。
私は単にここで『世界』という言葉が使われていることに違和感を抱いているのです。「思考世界」とか「論理世界」と言って欲しかったと思っています。
語りえぬことを「無意味」としたことは、有意義であったと評価しております。