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禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

演奏会で思ったこと

2025-05-26 07:41:37 | 日記
 昨日、近くのコミュニティハウスでバンドネオンの演奏を聴きました。プロの奏者の生演奏を間近で聴かせてもらってとてもありがたいことでした。十分楽しませていただいたのですが、欲張りな私は演奏会の度に、「もう少しポピュラーな曲をプログラムに入れて欲しい」という思いを禁じ得ないのです。そのような願いは実は私だけではないのではないかとも思っています。

 演奏家の方々は技量を向上させるために精進に精進を重ねているわけで、その成果を聴衆の前で思う存分披露したいと思うのは当然で、実際にもそうあるべきであると思います。だから奏者には自分の能力を最大限に発揮できる超絶技巧を織り込んだ曲や、自分のオリジナル曲を発表する権利は当然あると思います。しかし、演奏に関しては素人である聴衆のほとんどは、演奏(技術)を聴きに来ているのではなく音楽を聴きに来ているのだということも忘れてはならないのだと思います。今回のようなバンドネオンの場合で言えば「ラ・クンパルシータ」や「カミニート」のようなスタンダード・ナンバーを演目に追加していただいたら、私のような年配の聴衆にはもっと充実した演奏会になっていたように思うのです。

 昨年亡くなられたフジコ・ヘミングさんの演奏について、彼女のファンとクラシック音楽痛の間でひと悶着持ち上がったことがあります。正直言ってヘミングさんの演奏は一線級のピアニストと比べればそんなに上手ではありません。彼女の弾くラ・カンパネラは多少テンポがゆっくりで思い入れたっぷりです。クラシック通にはそれが癇に障るようですが、彼女のファンにはそれこそが魅力的に感じるらしいのです。彼女の奏法に手厳しい通の意見に対して、私は少々反発を感じます。さきにも言いましたが、聴衆は演奏(技術)を聴きに来ているのではなく音楽を聴きに来ているのです。「ラ・カンパネラ」はいわゆる名曲で誰が演奏してもそれなりに人の心を揺さぶります。ヘミングさんの演奏がかったるいという人がいる一方で、それを絶賛する人がいてもなんら不思議ではないと思います。美空ひばりの歌が素晴らしいという人がいる一方で、あのねちっこくてあざとい歌い方が嫌だという人もいる、それと同じことではないかと思います。

 ちょっと話がそれてきたような気もしますが、要は一般聴衆の求めているものは、奏者の思惑とは少しずれていることもありうるということです。
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死期が近づいている

2025-05-23 10:40:56 | どうでもいいこと
 二年前に腎臓を患って以来というものどうも体の調子が思わしくない。先月風邪をひいたらなんとか回復するまでに一か月ほどかかってしまった。それ以外にも何かと医者通いの回数が増えている。健康と体力には人一倍自身のあった私だが、年月にはどうしてもあらがえないものと思い知らされた。昭和24年生まれの私は現在75歳、いわゆる後期高齢者ということは正真正銘の老人である。同級生の訃報などもぽつぽつと耳にするようになった。それで、先日は風邪のせいで少し頭が疲れていたのだろう、漠然と「死期が近づいている」という言葉がふと脳裏に浮かんだ。

 この記事のタイトルを読んだ人は私が何か深刻なことを書くつもりではないかと想像したかもしれない。が、実はそうではない。「死期が近づいている」という言葉を思い浮かべたその時に、「あれっ、これってトートロジーじゃないか」と思ったのである。トートロジーとは日本語では恒真式とか恒真命題という、常に正しい言明のことである。例えば、「1=1」とか「私は今ここにいる」とか「素っ裸の人はシャツを着ていない」という風に常に正しいので恒に真であるという意味で恒真命題というのである。なあんだ当たり前のことじゃないかと言いたくなると思います。そうトートロジーというのは当たり前のことで、いささかの意義ある情報でもないのです。

 人間がいつか必ず死すべきものである限り、時間の経過とともに常に死期が近づいているのは当たり前のことであって、それは生まれたての赤ん坊であっても私のような老人であっても同じことです。つまり、とりたてて「死期が近づいている」ということにはなんの意味もないということに私は気づいて、その時私はちょっと愉快な気持ちになったのです。一般的(統計的)には老人の方が若い人より早く死ぬということは言えるかもしれない。しかし、個別の人の死期は誰にも分からない。言えるのは、誰もが常に「死期が近づいている」ということだけである。そう考えると気が楽になったのか、わたしの風邪もほどなく治りました。
 

日野中央公園のバラ(記事とは関係ありません)
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