昨日、近くのコミュニティハウスでバンドネオンの演奏を聴きました。プロの奏者の生演奏を間近で聴かせてもらってとてもありがたいことでした。十分楽しませていただいたのですが、欲張りな私は演奏会の度に、「もう少しポピュラーな曲をプログラムに入れて欲しい」という思いを禁じ得ないのです。そのような願いは実は私だけではないのではないかとも思っています。
演奏家の方々は技量を向上させるために精進に精進を重ねているわけで、その成果を聴衆の前で思う存分披露したいと思うのは当然で、実際にもそうあるべきであると思います。だから奏者には自分の能力を最大限に発揮できる超絶技巧を織り込んだ曲や、自分のオリジナル曲を発表する権利は当然あると思います。しかし、演奏に関しては素人である聴衆のほとんどは、演奏(技術)を聴きに来ているのではなく音楽を聴きに来ているのだということも忘れてはならないのだと思います。今回のようなバンドネオンの場合で言えば「ラ・クンパルシータ」や「カミニート」のようなスタンダード・ナンバーを演目に追加していただいたら、私のような年配の聴衆にはもっと充実した演奏会になっていたように思うのです。
昨年亡くなられたフジコ・ヘミングさんの演奏について、彼女のファンとクラシック音楽痛の間でひと悶着持ち上がったことがあります。正直言ってヘミングさんの演奏は一線級のピアニストと比べればそんなに上手ではありません。彼女の弾くラ・カンパネラは多少テンポがゆっくりで思い入れたっぷりです。クラシック通にはそれが癇に障るようですが、彼女のファンにはそれこそが魅力的に感じるらしいのです。彼女の奏法に手厳しい通の意見に対して、私は少々反発を感じます。さきにも言いましたが、聴衆は演奏(技術)を聴きに来ているのではなく音楽を聴きに来ているのです。「ラ・カンパネラ」はいわゆる名曲で誰が演奏してもそれなりに人の心を揺さぶります。ヘミングさんの演奏がかったるいという人がいる一方で、それを絶賛する人がいてもなんら不思議ではないと思います。美空ひばりの歌が素晴らしいという人がいる一方で、あのねちっこくてあざとい歌い方が嫌だという人もいる、それと同じことではないかと思います。
ちょっと話がそれてきたような気もしますが、要は一般聴衆の求めているものは、奏者の思惑とは少しずれていることもありうるということです。