15人の救急隊員が全員上半身を撃たれており、明らかに明確な殺意を持って殺されていたと記事に書かれている。イスラエル側は当初、その車は灯火を消して不穏な動きをしていたと説明していたが、救急隊員の一人のスマホには襲撃当時の映像が残されており、それによってイスラエル側の声明が虚偽であったことが判明した。
これまでも救援の為にガザに入っていた国連職員や国境なき医師団のメンバーがかなり殺されている。イスラエル軍内部では、「ハマス1人を殺すためにはパレスチナ人を20人殺しても構わない」と指示されるらしいというような話を聞いたことがあるが、救急隊員のスマホの動画を見ると現実はもっとひどくて、イスラエル側にはパレスチナ人や彼らを救援する人々を殺すことにためらいはないどころか、むしろ積極的に殺そうとしているように見受けられる。
イスラエルの本音はパレスチナからパレスチナ人を排除したいという所にあるのだろう。つまりジェノサイドである。二百万もの人々を狭い地域に閉じ込めて、逃げ惑う人々の上に銃弾や爆弾を浴びせ、食料や医薬品などの救援物資の搬入を禁止したうえに、ジャーナリストも締め出して情報も遮断しようとしている。
歯がゆいことにわが祖国日本はといえばイスラエルに抗議もしないで傍観している。杉原千畝が今のこの事態を見れば嘆くに違いない。想い起して欲しい、第二次世界大戦中にリトアニアの日本領事館前にはナチスから逃れようとしている大勢のユダヤ人が詰めかけていた。シベリアから日本日本経由でナチスから逃れるために日本の通過ビザが必要だったからである。ところが、当時の日本政府はナチスドイツに気兼ねしてユダヤ人を救おうとはしなかったのだ。それで日本政府は通過ビザの発給に関しては否定的であった。しかし、それでは領事館の前にいる人々の命はない。杉原は訓令違反を犯してビザ発給に踏み切った。当然、杉原は帰国後に外務省を去ることになった。外務省が杉原の遺族に対して謝罪したのはずっと後のことである。
日本は戦争に負けて民主主義国として生まれ変わった、というようなことを私たちは教えられてきた。しかしどうだろう、本当のことを言うと日本政府の体質は昔も今も大して変わっていないような気もする。当時の日本がナチスに忖度していたように、というかそれ以上に現在はアメリカに追随している。日本はイスラエルを支持しているアメリカの方針には逆らえない、イスラエルに対する抗議声明すら出せないでいる。
以前テレビのある番組で、外務省の役人が杉原に関して「後輩として誇りに思う」と述べていたが、これはおかしい。杉原に対して冷淡であった外務省の一員として「後輩として恥ずかしい」と言うべきではないのか。よくよく考えてみれば、これは私たち自身についても言えると思う。
私たちは毎日三食食べている。寒ければ暖房を入れるし暑ければ冷房で涼むこともできる。大谷がホームランを打ったと言っては手を叩き、サクラが咲けばビニールシートを敷いて楽しく飲み騒ぐ。それが悪いというのではないが、ときにはガザの人々が直面している恐怖や飢えと絶望について想い起すべきではないだろうか。そして、このような現状に対してみて見ぬふりしている政治家には絶対投票しないということ、それは私達の最低限の義務ではないかと思うのである。