禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

サッカーは人の心を揺さぶる

2022-12-07 07:32:49 | 雑感
 サッカーほどいろんな能力を要求されるスポーツはないような気がする。力、スピード、技術はもちろんだが、広い視野を保ちながらダイナミックな状況判断を常に要求される。しかも得点が入りにくい。細心の注意技術をもってパスをつないでゴールを狙っても、そこには唯一自由に手を使えるキーパーがいる。意表を突く工夫がなければなかなか得点には結びつかないのである。それ故ゴールが決まったときのカタルシスは大きいものとなる。ドイツ戦の浅野、スペイン戦の田中のそれぞれの決勝ゴールはその最たるものではなかったかと思う。

 浅野はその前にもすでにシュートを放っていたが、それは枠内には飛ばなかった。そのプレーを見る限り、浅野は走力には優れているがそれ程決定力のある選手には見えなかった。その浅野が後方からのパスを巧みにトラップし、前に立ちふさがるキーパーの頭上を、しかも角度の浅いゴールに対して針の穴を通すようなコントロールでシュートしたのだ。これだけのことを追いすがるディフェンダーを振りほどきながら、ほぼ全力疾走しながらやってのけたのである。あらゆることを精密機械のようにダイナミックにこなしてやってのけた。まさに値千金とはこのようなプレーのことだと思う。

 スペイン戦の決勝ゴールは極めて微妙なものだった。三苫の折り返しの時点でボールはゴールラインを割っていたように見えたからである。結局VARによる判定によって、ボールが数ミリゴールライン上にあることが認められた。わずか数ミリである。あと千分の1秒でも三苫選手の脚が届くのが遅かったらゴールは成立していなかった。まさにぎりぎりのタイミングであった。しかしそれだけではゴールは成立しない。その折り返しパスに対して絶妙のタイミングでそこに田中碧がいた。サッカーのゴールは奇跡的な要素の上に成り立っている。だから人の胸を打つ。試合後、三苫と田中の鷺沼ブラザーズはピッチの上で抱き合っていた。三苫はこの絶妙なゴールに感動していたに違いない。笑いながら「痛い、痛い」と叫んでいる田中をなかなか離そうとしなかった。微笑ましくて感動的なシーンであった。
 
 惜しくも決勝トーナメントの第一戦には破れてしまったが、日本チームはよくやったと思う。ベスト16の壁は破れなかったと言うが、そんなことはない。日本チームの実力はロシア大会以前とは格段に違うように私には見えた。今までに一次リーグで2勝したことはないのだから、今回は実力で勝ち取った堂々のベスト16である。代表チームは堂々と胸を張って帰国してもらいたいものである。
 
 素人目だが、Jリーグ発足当時から見れば日本のサッカーの実力は格段に上がっている。日本人はサッカーには向かないのではないかと思っていたが、どうやらそれは私の偏見であったようだ。三苫選手と堂安選手は体格的にはそれほど優れていないが、誰の目にもそのプレーは国際水準のはるか上を行っているように見える。彼らのような選手がこれからも輩出すれば日本もまだまだ上に行ける可能性があるだろう。

ツツジの狂い咲きは珍しいものではないが、これだけ咲きそろうのはやはり温暖化の影響だろうか?

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