仕事で東京に通っていた頃は味もそっけもない殺伐とした大都会だと思っていたが、先日神宮外苑や上野界隈を訪れて、東京はいろいろな風土に恵まれた美しい街であることを再確認した。というわけで、東京見物に味をしめて、一昨日(11/27)は皇居へ行ってきました。今までに皇居前広場とか桜田門付近には何度も言ったことがあるけれど、天守台の辺りは一度も言ったことがなかったので、この際見に行ってみようと思い立ったのです。
街路樹の黄葉とモダンなオフィスビルが美しいお堀端。
皇居前に来ると何やらすごい人だかりです。ちょうど乾通りの公開が行われているということで、大勢の人々が詰めかけていました。ということで、私も参加することにしました。
ここが宮内庁庁舎だそうです。
皇居には様々な樹種の木々が植わっていて、紅葉のバリエーションも多彩で華やかです。
冬咲の桜もあります。
ここは道灌堀。江戸城を最初に築城した太田道灌の名前がここに残っている。
乾通りを通り抜けると、私は当初の目的の天守台跡をに向かいました。
東御苑の入り口の北桔橋(きたはねばし) からの眺めは、あらためて江戸城本丸の規模の壮大さを実感させてくれます。
北桔橋を渡るとすぐ目の前に天守台の石垣が見えてくる。ピタッと隙間なくはめ込まれた打込接(うちこみはぎ) の石垣は、他の追随を許さない天下一の天守閣にふさわしい壮麗な石垣である。しかし、この石垣は結局無駄になった。江戸城の天守閣は明暦の大火で焼け落ちた後、加賀前田家が総力を挙げてこの石垣を築き上げたのだが、その上に天守閣が築き上げられることはなかったからである。時は4代将軍家綱の時代であったが、当時の幕政を実質的に取り仕切っていた会津藩主保科正之が天守の再建を止めさせたのである。大災害に見舞われた後である。太平の世にもはや必要のない天守に莫大な労力と財を費やすことの愚を説いた保科は賢明であった。結局、江戸時代の大部分200年間、江戸城は天守閣なしの城だったのである。
さて次は、天守台を後にして三の丸庭園を目指します。途中の雑木林の色づき具合が見事です。
これは二の丸庭園の「諏訪の茶屋」。明治時代に再建されたものらしい。美しい数寄屋造りの建物だが、現在は使用されていないとのこと。
三の丸庭園の松はどれも形が良い。いかにもザ・日本庭園という感じ。
ひときわ色鮮やかな紅葉が目を引きつける。
庭園も良いが、周囲の自然はもっと素晴らしい。木々の葉裏を通してくる柔らかな光に包まれた子供連れの夫婦が、秋の日を満喫していた。平和である。
どうです。あなたも皇居に出かけてみませんか?