天理大生が受けた“差別”

 新型コロナウイルスに対して多くの日本人が抱いている恐怖心は、どうやら科学的な根拠から乖離してしまった。政府分科会が「7月末にピークアウトしていた」と発表したにもかかわらず、いまだに根拠のない不安が社会を覆っている。奈良県の天理大学の学生が教育実習の受け入れを断られ、アルバイトを休むように告げられた、という実話が、そのことを端的に物語っている。

 天理大のラグビー部でクラスターが発生し、五十数名が陽性になったのは事実だが、全員が無症状か軽症だという。それでも、ラグビー部員が拒まれたのならわかるが、教育実習やアルバイトの受け入れを断られたのは、いずれもラグビーとは無縁の学生だった。

 たとえば、実習を受け入れる予定だった学校側の言い分は、「天理大生を受け入れると保護者が不安になるから」というものだが、感染症に詳しい浜松医療センターの矢野邦夫医師は、

「新型コロナは、感染力が強くないことがわかっています。クラスター感染が起きると、みなさん感染者数に怯えてしまいますが、基本的には、濃厚接触しないかぎり感染できない病原体なのです。そして、感染者が出れば濃厚接触者は調査されます。それなのに、同じ大学の学生だからと差別や排除の対象にするのは、よくありません」

 と警鐘を鳴らす。本来なら保護者に向かって「不安はない」と説明すべき立場の学校が、むしろ根拠のない不安をかき立ててしまっているのである。

 テレビが毎日、新たな感染者数を声高に伝えるから、視聴者が不安になるのも致し方ない面がある。また感染を防ぐ建前として、「重症化リスクが高い高齢者をいかに守るか」と叫ばれ続けている以上、高齢者が身構えるのもわかる。

 だが、最近の酷暑のなかであれば、熱中症のほうがよほど危険だろう。しかも、新型コロナウイルスへの感染が重症化や死につながることを恐れた高齢者が、自宅に閉じこもった結果、熱中症を患うとしたら、本末転倒もはなはだしい。

 事実、熱中症で救急搬送された人の数は、昨年8月10〜16日には7639人だったが、今年の同じ期間は速報値で1万2804人と、昨年のおよそ1・7倍にもなっている。また、東京都内で8月に熱中症で亡くなった人は、昨年が過去最多の115人だったが、今年は22日までですでに170人と、過去にくらべて激増しているのである。

 熱中症については、のちに詳しく述べるとして、日本人が新型コロナを、実態以上に怖れすぎていることは、論をまたない。アゴラ研究所所長で経済学者の池田信夫氏が指摘する。

「英国の大手世論調査会社ユーガブによると、日本では新型コロナが“怖い”か“やや怖い”と答えた人の割合が、4月以降一貫して70〜80%と高い。一方、十数万人が亡くなった米国は60%台、医療崩壊を起こしたイタリアは50%台、同じく英国やスペインは40%台にすぎません」

エボラ出血熱と同じ扱い

 なぜ日本人ばかりが、こうも怖がるのだろうか。

「煽ったほうが視聴率をとれるテレビに踊らされ、新型コロナを“死の病”と思い込んだ“コロナ脳”の人が多いからです。ワイドショーにかぎらずNHKニュースも毎日、“何百人感染した”と報じるものだから、人々はさらに怖くなってしまう。情報災害であり、ニュースによって社会的パニックが作られています。いまの経済的損失もウイルス自体によってではなく、テレビに煽られたコロナ脳の人々によって引き起こされたと言えるでしょう」

 そう語る池田氏は、この状態を脱するために「指定感染症から解除する必要がある」と訴える。というのも、日本は新型コロナを指定感染症とすることで、まさに「死の病」として扱っているのである。

本誌(「週刊新潮」)は8月19日発売号で、新型コロナが結核やポリオ、SARSなど致死率が高い感染症と並んで、指定感染症第2類相当とされており、あまりに過剰な評価であると指摘した。国際政治学者の三浦瑠麗さんは、

「伝染する力や致死率を、同類として並べられた感染症とくらべたとき、明らかに分類が不適当」

 と語るが、さらにとんでもない評価だったのだ。

「新型コロナが指定感染症1類相当と同じ扱いを受けていると知ったのは、2週間ほど前です」

 と、東京脳神経センター整形外科・脊椎外科部長の川口浩医師が言う。

「『メディカルトリビューン』という医療関係者向けサイトに“2類相当から解除すべきだ”と書いたところ、複数の先生から“いま実質、1類相当の政策を行っていますよ”とコメントをいただきました。調べると“無症状者への適用”は1類感染症でしか行われない政策で、本当に驚きました。1月28日、新型コロナに関する政令が閣議決定され、日本医師会から全国の医療関係者に、“指定感染症(2類相当)になった”と通知されたのですが、どうやら2月13日の閣議で、無症状であっても入院勧告できるように、政令が変更されていたのです」

 寝耳に水だったという。

「私は3月から、2類相当であることに疑問を抱いてきました。そのころWHOが“新型コロナはパンデミックに相当する”と発表しましたが、一般に致死率が高い感染症は、宿主が重症化、死亡してしまい拡散しないため、風土病で終わります。世界的に流行しているのに2類相当という指定に違和感を覚えました」

 ところが、2類どころか1類相当だったのだ。

「致死率50〜90%のエボラ出血熱と同等の扱いで、これではベッドも防護のための貴重な医療資源も、どんどん消費されてしまいます。ところが友人の感染症専門医に“(指定感染症の問題が)なぜ議論にならないのか”と聞いても、みんな歯切れが悪い。感染症学会は政府とつながりが強いので、立場もあるようで、“彼らにとってはアンタッチャブルなことなのかな”という印象を受けました」

「医療崩壊を防げ」と叫んでいる医師たちが、医療崩壊の最大の要因を放置している、ということか。そもそもインフルエンザで、感染者全員を隔離していたら、日本の医療はとっくに崩壊している。また、新型コロナが「死の病」として扱われているかぎり、経済の回復もおぼつかないだろう。

「7月下旬が感染のピーク」

 8月20日、政府の分科会の尾身茂会長は日本感染症学会のシンポジウムで、いまの感染の流行は「全国的に見ればだいたいピークに達した」と発言。翌日には分科会が「7月下旬が感染のピーク」と発表した。

 実は、本誌は7月22日発売号で、すでに〈ピークは7月末にきます〉と明記していた。それは大阪大学核物理研究センター長、中野貴志教授による感染予測であった。感染の拡大と収束の速度を測るメーター「K値」によると、中国由来の第1波、欧米由来の第2波の収束後、6月下旬に東京の新宿を“震源”とする第3波が到来。それが収まる前、7月6日ごろに第4波が立ち上がったが、そのピークも7月末だという見通しだったのだ。あらためて中野教授に尋ねると、

「早い地域で7月下旬、全国的にも8月初旬にはピークを越えていました。今回の流行は国内発生で、地域によっては感染源がダラダラと流入し続け、第5波が発生して波も高くなりましたが、首都圏を除けば小さな流行でした。今後新たな波が発生するかどうか、予測できませんが、緊急事態宣言やそれに伴う自粛がなくても、一つひとつの波は、現状の用心と対策で自然に収束へと進む。日本における自然減の傾向は、より明確になると思います」

 京都大学ウイルス・再生医科学研究所の宮沢孝幸准教授も、こう話す。

「中野先生のK値は、ピークの時期をピタリと予想しましたね。僕も7月下旬から8月上旬にピークアウトすると予想し、YouTubeで発表していました。尾身先生の発表は少し遅いと思いましたが、安全に配慮したのでしょう。重症者数もピークアウトしたはずで、増えて注目された大阪の重症者発生数も、8月中旬にはピークを越えたと思います」

 だが、そう言われても、一度心に棲みついた新型コロナへの恐怖心は拭えない、というのが多くの日本人のようだ。内科、循環器内科医で、大阪大学人間科学研究科未来共創センター招聘教授の石蔵文信氏が言う。

「私は以前、雑誌の取材で、“コロナは怖いですか”と聞かれ、“社会的に怖い”と答えました。病気そのものよりも社会的な空気や圧力が怖い。感染症学者の方々は最悪の想定しかしません。単純計算で“何十万人死ぬ”という数字ばかりを突きつけられたら、そういう空気になります」

 怯えすぎに対しては、医師で医療経済ジャーナリストの森田洋之氏も、

「恐怖は植えつけるのは簡単でも、根強く残るので取り去るのは難しい。僕ら医療従事者は植えつけた側なので、今後は十分な情報を与えて安心させる、不断の努力が求められます」

 と言って、こう続ける。

「“人間に病気をもたらす最大のものは蚊”だそうですが、蚊を撲滅させることはできません。いまコロナが撲滅するまで戦おう、という人がいますが、それは蚊を撲滅させようというのと一緒で、どこまでも自分たちの生活を犠牲にしなければならなくなります。クラスター対策や水際対策も、感染者は一人も逃さないという感じですが、社会全体がそういう方向に向かうのは危険です」

 風邪の撲滅も、インフルエンザの撲滅も、できないのと同じである。

「いま行っていることをのちに振り返れば、風邪の大規模調査をしていたように見える可能性もある。もっとも、風邪のウイルスである4種の旧型コロナについて、そういう調査が行われたことはないので、一概に比較できませんが」

 さらに森田氏は、

「近年の新しい感染症の流行パターンを見ると、2年にまたがることはほとんどなく、地域ごとに見ると1年とか1年弱で収まっています。ヨーロッパ各国もすでにほぼ収まっている。冬に小山が来ることはあっても、基本的に一度大きな波が来た地域には、もうそれほど大きな波は押し寄せない。感染症の経験則としてそういえます」

 と言い、来年の東京五輪について、こう見通す。

「来夏まで感染が流行する地域は、そんなにないと思う。たぶん、五輪はできるのではないか、と僕は思っています。それよりも熱中症のほうが怖いです。この暑さで走るなんて、自殺行為ですよ」

 今年の都内における熱中症被害を鑑みても、五輪について心配すべきは、むしろ熱中症ではないのか。

 東京五輪を開催できるかどうかのポイントは、感染収束が遅れる国が、代表選考などの準備を十分できるかどうかにあるといわれる。だが、そもそも五輪にゼロリスクを求めるなら、永遠に開催できないだろう。不安な国があれば、集まれる国だけで行えばいいではないか。1980年のモスクワ五輪、84年のロス五輪のように、多くの国がボイコットしたまま行った例もある。アスリートの努力も、五輪による経済効果も、無意味な恐怖心のためにふいにしてはなるまい。

高齢者の熱中症が急増

 冒頭でも述べたが、熱中症は侮れない。しかも、高齢者の命を守るための新型コロナ感染予防対策の煽りで、高齢者が危機に陥っているようなのだ。たかせクリニック理事長で「かくれ脱水」委員会委員の高瀬義昌医師によれば、

「今年は在宅診療で回っていても、脱水や熱中症を訴える方が多く、対応で休みもありません。また熱中症で熱が上がると、新型コロナの症状と見分けがつかないのが問題です。僕らのようなかかりつけ医が“この方は濃厚接触の疑いはありませんよ”と一言添えると、病院側も安心して受け入れられますが、かかりつけ医がいない高齢者の場合、救急車を呼んでもコロナへの感染を疑われ、何時間も立ち往生した、という例が何件もあるほどです」

 というから、かかりつけ医がいるなら相談した方がよいだろう。また、

「太もも周りの筋肉には水分と電解質が蓄えられます。しかし筋肉が減っている高齢者は、気づかないうちに、いわゆる“かくれ熱中症”になるリスクが高いのです。新型コロナ対策で巣ごもりしていると筋肉量が減り、炭水化物をとることが多くなり、筋肉を作るたんぱく質を摂取する機会が減りがちです。朝夕に散歩をするなど、体を動かす機会を疎かにしないこと。また、経口補水液を常備しておくといいです」

 感染を恐れすぎての代償の例は、数限りない。老年精神医学が専門の和田秀樹医師が指摘する。

「高齢者ほど病院内で感染することを恐れ、病院に来ません。外出が減って鬱になった人であれば、薬で治療できるのに、病院に来ないから悪化してしまう。また外出を控えているうちに、身体能力は大幅に低下しがちです。入院している人は、新型コロナ対策で面会できないうちに、鬱になる場合もあります。やはり、会って話をしないとケアできません。コロナを恐れてデイサービスを休んでいるうちに、認知症が悪化するケースもあります。認知症は2000年ごろから病状の進行が遅くなり、僕はデイサービスの利用効果だと思っていましたが、これでは過去に戻ってしまいます」

 こうして「認知症パンデミックが起きる」と、先の石蔵氏は指摘するが、どうしたらそこに巻き込まれずにすむだろうか。おくむらメモリークリニックの奥村歩院長が言う。

「コロナ禍で外出や人との接触が減り、脳の健康が悪化して、“なにもやる気がない”と訴える人が増えています。脳が疲れ、鬱状態に陥っているのです。要因の一つは、実はインターネットやSNSと向き合う時間が増えたことです。コロナに関する情報をさらに得ようとしてネットを見続け、情報過多になり、脳が疲れてしまうのです。また、高齢男性に多いのは、社会とつながらなければ、という強迫観念からSNSを始め、脳が疲れてしまうケースです。新しいことを始めるのは、たしかに脳への刺激になりますが、使いすぎはよくありません。それよりも五感を刺激しましょう。公園に行って草の臭いをかぎ、セミの声を聴き、季節を感じるのです。また、感染に気をつけつつ人と交流する。そのほうが無理に始めたSNSより効果的です」

 それにしても、新型コロナを怖れるあまりの代償の大きさと、結果、命が守られないという事実には、愕然とするほかない。むろん手洗いやマスクは必要だろうが、それだけ励行したら、あとはすべてをコロナ以前に戻す――。最も命が守られる道がそれであることに、もはや疑いを差しはさむ余地はなかろう。

2020年9月3日号 掲載