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クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

小さな町の 『小さなひな祭り』  H-28- 3- 3

2016-03-04 10:55:12 | その他
倉賀野町まで所用があったのでその帰り道に近接の新町まで足を伸ばして
今日、三月三日が最終日の「新町ひな祭り」をざっと一回り。
この地のひな祭りは古い歴史が在る訳ではなく地域のにぎわいを創出するために
開催するもので今年で十回目で。各商店や金融機関・公共施設等の協力を得て、
協賛店の店内に飾っているもの。
新町が高崎市と合併してから丁度10年になるが、合併時に人口12000人のこの
小さな町の歴史を辿れば古代の701年 、大宝律令によつて上野国緑野郡となる。
遥かに下って1582年6月 、滝川一益と小田原城の後北条氏が
戦った神流川合戦の後、加賀藩前田氏により、当地を通る街道「加賀街道」が開かれ
宿場の町並みが形成され落合新町、笛木新町と呼ばれるようになる。宿場としては
両町あわせて新町宿と呼ばれたが1654年に 加賀街道は中山道。
1724年には新町宿が中山道の正式な宿場となった。そこから又複雑な変遷。
1868年6月 - 岩鼻県に所属、1871年 群馬県に所属。
1873年 熊谷県に所属、1889年に町村制施行に伴い、緑野郡新町が成立。
1896年 緑野郡が多胡郡・南甘楽郡と統合して多野郡となり、同郡の所属となる。
そして2006年1月 群馬郡群馬町・箕郷町・倉渕村とともに高崎市に編入された。

R-17を東進して新町駅前信号を左折して直ぐ近くのスーパーに駐車してメイン会場に向かう。
メイン会場入り口には観客向けの接待所。



直ぐ脇にパーゴラ。パーゴラの屋根には平和の象徴の折鶴、天井には、1977年
制定の町民憲章に因んで、「明るい家庭」「福祉」「文化」「希望」「人間性」
「住みよい町」の言葉が刻まれているが写真には上手く撮れない。



小公園になっている広場の奥には明治天皇行在所。ここは明治天皇が1878年、
北陸・東海道各地の巡幸のおり、宿泊所として旧本陣が警備上問題があるとして、
新築されたもの。この新築を決定したのが昨年 NHK大河ドラマ『花燃ゆ』で話題と
なった群馬県初代県知事 楫取素彦。
屋内にはメインのひな壇が飾られイベントも開催されているので観客多数。





デジブック 『小さなひな祭り』
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