クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

高崎市内万葉歌碑一回り H-26- 7-8

2014-07-09 17:33:07 | 伝説・史跡探訪
突然に梅雨の晴れ間、山は水が染み出していると思われるので今日も散策の類。
三角点・道しるべはもう良いし芭蕉句碑もやったので今回は万葉歌碑訪問。
高崎の万葉歌碑は「石碑の路」に集中しているが数年前に商科大学の有志に
よって埋もれていた五基が再建されたとのことなのでそれを含めて総ざらい。
かって爺イも石碑の路で拓本の練習をしたり写真を撮り捲ったことがあったが当時は
碑文・原文も確認していない為、今回全て撮り直し・記録直し。


スタートは金井沢碑入り口kの東屋前からとした。

①八隅ししーーーー



長文の割りに碑面が小さく彫りも浅くて碑文が読み取れないが「大沢雅休書」とあるから
万葉仮名と思われるその碑文。



読み(説明看板に拠る)



万葉集巻一の三十八 柿本人麻呂作  大沢雅休書 

原文
 安見知之 吾大王 神長柄 神佐備世須登 芳野川 多藝津河内尓 高殿乎 高知座而 上立 
 國見乎為勢婆 疊有 青垣山 〃神乃 奉御調等 春部者 花挿頭持 秋立者 黄葉頭刺理 一云 
 黄葉加射之 逝副 川之神母 大御食尓 仕奉等 上瀬尓 鵜川乎立 下瀬尓 小網刺渡 山川母 
 依弖奉流 神乃御代鴨


②吾を待つとーーー



碑文(末尾文字読み取れず、推定)

 吾乎待東 君賀沾兼 足曳ノ 山乃雫二成益物乎



読み
 

 万葉集巻二の一〇八 石川郎女作 二の一〇七への返歌 大沢雅休書

原文
 吾乎待跡 君之沾計武 足日木能 山之四附二 成益物乎


県道を突っ切って反対側の草道に再建された歌碑が200m程の区間に五基並んでいるので移動。



③あしひきのーーーー



碑文1

安志比貴之 山乃雫二 妹待東 吾立沾奴如 山之雫爾



読み
 あしひきの 山のしづくに 妹待つと 吾立ち濡れし 山のしづくに

万葉集巻二の一〇七 大津皇子作 大沢雅休書

原文
 足日木乃 山之四付二 妹待跡 吾立所沾 山之四附二


④いかほろにーーー



碑文2

いかほろに あまくもいつぎ かぬまづく ひととおたはう いざねしめとら




読み
 伊香保ろに 雨雲し継ぎ かぬまづく 人とおたはう いざ寝しめとら

 万葉集巻十四の三四〇九 作者不詳 加藤恵秀書

原文
 伊香保呂尓 安麻久母伊都藝 可奴麻豆久 比等登於多波布 伊射祢志米刀羅

⑤難波道をーーー



碑文3(原文に同じ)
奈尓波治乎 由伎弖久麻弖等 和藝毛古賀 都氣之非毛我乎 多延尓氣流可母



読み
 難波道を 行きて来までと 吾が妹子が 付けし紐が緒 絶えるけにかも

万葉集巻二十の四四〇四 上毛野伴甘作 小暮青鳳書

原文
 奈尓波治乎 由伎弖久麻弖等 和藝毛古賀 都氣之非毛我乎 多延尓氣流可母

⑥いはほろのーーー



碑文4(原文と同じ)
伊波保呂乃 蘇比能和可麻都 可藝里登也 伎美我伎麻左奴 宇良毛等奈久文



読み
 巌ろの 沿ひの若松 限りとや 君の来まさぬ 心もとなくも

 万葉集巻十四の三四九五 作者不詳 櫛淵蓬山書

原文
 伊波保呂乃 蘇比能和可麻都 可藝里登也 伎美我伎麻左奴 宇良毛等奈久文

⑦一寝ろにーーー




碑文5
一嶺ろ尓 伊ハるもの可ら あ越年ろ二 い斜よ布雲能 よ所り妻者も



読み
一寝ろに 言はるものかは 青嶺ろに いさよう雲の 寄そり妻はも

 万葉集巻十四の三五一二  作者不詳 日比野生嵐書 

原文
 比登祢呂尓 伊波流毛能可良 安乎祢呂尓 伊佐欲布久母能 余曽里都麻波母

この地域は終わりでこんな道を戻り、




今度は山名神社に駐車して裏山の日陰山公園に上っていく。

ここが石碑の路の始まり、手島右郷書の巨碑。



伝説の「太刀割りの岩」を見て上信電車の線路を潜り。



神社前を通過して急坂へ。



中盤に忠霊塔、ここから切り返えして双葉保育園方面への坂道を辿る。



公園の奥に「筆塚」の巨碑。



その右手前に万葉歌碑。北向きなので逆光となり写真は判然としない。

⑧さぬやまにーーー



碑文

左努夜麻尓 宇都也乎能登乃 等抱可騰母 禰毛等可児呂賀 於母尓美要都留
(さぬやまに うつやおのとの とほかども ねもとがころが おもにみえつる)



 万葉集巻十四の三四七三 作者不詳 高野辰之書 (定家神社に同じ歌碑)

読み
 看板は擦れて文字は全く見えない。



 佐野山に 打つや斧音の 遠かども 寝もとが子ろが 面に見えつる

原文
左努夜麻尓 宇都也乎能登乃 等抱可騰母 祢毛等可兒呂賀 於母尓美要都留


再び山名神社に戻り田圃の中の細道で山の上碑に向かう。一旦、碑の入り口を通り越して
大山祇神社前に駐車して貯水池のほとり。



⑨いにしえのーーー

厳重な柵の中なので正面は写せるが裏の碑面は無理しても写真にならず。



碑文

仕方ないので爺イの古いブログから転用。昔の柵は破れ箇所から中には入れたと記憶する。



読み



万葉集巻三の三七八 山部赤人作 高井紫風書

原文
 昔者之 舊堤者 年深 池之瀲尓 水草生家里

  (山部宿祢赤人が故太政大臣藤原家の山池を詠んだ歌)


山の上碑・市営無料駐車場に車を停めて入り口。



その直ぐ脇に歌碑。

⑩吾が恋はーーー



碑文

安我古悲波  麻左香毛可奈思 久左麻久良 多胡能伊利野乃
 (あがこひは まさかもかなし くさまくら たごのいりぬの)
 於久母可奈思母
(おくもかなしも)



万葉集巻十四の三四〇三 作者未祥 手島右卿書

読み


 
原文
 安我古非波 麻左香毛可奈思 久佐麻久良 多胡能伊利野乃 於久母可奈思母


ここから三段構え172段の石段を登る。



上り切ったところが山ノ上碑の収まった建屋。



その脇に古墳の入り口。



歌碑はその右手にある。此れは爺イの最も好きな歌碑。理由は碑面の大きさ、文字の彫りの深さ
豪快な字体などが拓本練習に最適だったし、おまけに碑の前に座り込んで無理のない姿勢で
作業できる位置にあったから。

⑪日の暮れにーーー



碑文

比之暮尓  薄日乃山遠   古由流比者 世奈濃賀袖毛
(ひのくれに うすひのやまを こゆるひは せなのがそでも)
沙耶尓不良志津
(さやにふらしつ)

 万葉集巻十四の三四〇二 作者不詳 大沢雅休書



読み


 
原文
 比能具礼尓 宇須比乃夜麻乎 古由流日波 勢奈能我素悌母 佐夜尓布良思都

⑫あすか河ーーー

西に旋回しながら尾根を登る感じの傾斜路。



碑文
アスカガワ セクトシリセバ アマタヨモ ヰネテコマシオ セクトシリセバ



読み



万葉集巻十四の三五四五 作者不詳 山本聿水書

原文
 安須可河泊 世久登之里世波 安麻多欲母 為祢弖己麻思乎 世久得四里世婆

軽い登りで山名城址看板。その先に歌碑。




⑬遠しとふーーー



碑文


読み

 
万葉集巻十四の三四七八 作者不詳 安藤聖空書

原文
 等保斯等布 故奈乃思良祢尓 阿抱思太毛 安波乃敝思太毛 奈尓己曽与佐礼

⑭ささのははーーー



碑文
 ささのは丶 み山もさやに さやげども 我は妹おもふ 
  わかれきぬれば



万葉集巻二の一三三 柿本人麻呂作 大沢雅休書

読み


原文
 小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆

⑮むらさきのーーー

碑文・むらさきの 根延ふ横野の 春野庭(には) 君をかけつつ 鶯鳴くも



読み


万葉集巻十の一八二五 柿本人麻呂作 黒澤春来書  

原文
紫之 根延横野之 春野庭 君乎懸管 ?名雲

⑯いもをこそーーー



碑文
伊母乎許曾 安比美爾許思可 麻欲婢吉能 與許夜麻敞呂能
(いもをこそ あひみにこしか まよひきの よこやまへろの
思之奈須於母敞流
ししなすおもえる)



 万葉集巻十四の三五三一 作者不詳 山本聿水書

読み


 
原文
 伊母乎許曽 安比美尓許思可 麻欲婢吉能 与許夜麻敝呂能 思之奈須於母敝流

商科大学への分岐を過ぎ



⑰利根川のーーー



碑文
利根川の 川瀬もしらず ただわたり 波にあふのす 逢える君かも



読み



万葉集十四の三四一三 作者不詳 北村九皐書

原文
 刀祢河泊乃 可波世毛思良受 多太和多里 奈美尓安布能須 安敝流伎美可母

⑱わがいはろにーーー



碑文
 わがいはろに ゆかも人もが くさまくら 旅はくるしと 告げやらまくも



読み




 万葉集巻二十の四四〇六 大伴部節麿作 千代倉桜船書

原文
 和我伊波呂尓 由加毛比等母我 久佐麻久良 多妣波久流之等 都氣夜良麻久母

⑲伊香保ろのーーー



碑文
 伊香保ろの やさかのゐでに 立つ虹の あらはろまでも さねをさねてば



読み


 

 万葉集巻十四の三四一四 作者不詳 深井雙葉書

原文
伊香保呂能 夜左可能為提尓 多都努自能 安良波路萬代母 佐祢乎佐祢弖婆

根小屋城址との分岐、城址方面には万葉歌碑は無いので左折。



このルート唯一の小ピークを上りきると頂点に歌碑。



⑳いかほみねにーーー



碑文
伊香保嶺に かみな鳴りそね 吾が上には 故はなけども 児らによりてぞ



読み



 万葉集巻十四の三四二一 作者不詳 小坂奇石書

原文
 伊香保祢尓 可未奈那里曽祢 和我倍尓波 由恵波奈家杼母 兒良尓与里弖曽


下り木枠段は登り返しが憂鬱になるほど長い。降り切って歌碑。



(21)かみつけぬーーー



碑文
 かみつけぬ かほやがぬまの いはゐづら ひかばぬれつつ あをなたえそね



読み


 
 万葉集巻十四の三四一六 作者不詳 千代倉桜舟書

原文
 可美都氣努 可保夜我奴麻能 伊波為都良 比可波奴礼都追 安乎奈多要曽祢

(22)かみつけのーーー

右の台地に登ると横長の大岩の裏面に歌碑。



碑文
可美都気野 左野乃九久多知  乎里波夜志  安禮波麻多牟恵 許登之許受登母
 (かみつけの さののくくたち  おりはやし  あれはまたむえ ことしこずとも)

 万葉集巻十四の三四〇六  作者不詳 武士桑風書



読み


 
原文
 可美都氣野 左野乃九久多知 乎里波夜志 安礼波麻多牟恵 許登之許受登母

(23)ゆふやみはーーー



碑文

由不闇八  三知田頭田豆四 月待而   以末世吾背子  其間尓毛三武 
(ゆふやみは みちたずたずし つきまちて いませわがせこ そのまにもみむ)

万葉集巻三の七〇九 娘子大宅女作 大沢雅休書

碑文の書き出しの「田」は「由」間違いなのでここでは「由」を使う。左から縦読み。



読み



原文
夕闇者 路多豆多頭四 待月而 行吾背子 其間尓母将見

(24)いかほかぜーーー



西端の歌碑。

碑文・
伊香保風 吹く日吹かぬ日 ありといえど わがこひのみし 時なかりけり



読み


 万葉集巻十四の三四二二 作者不詳 千代倉桜舟書

原文
 伊可保可是 布久日布加奴日 安里登伊倍杼 安我古非能未思 等伎奈可里家利

山に上がれなかった歌碑

(25)みそらゆくーーー

石碑の路案内書にも記載の無い「山に登れなかった碑」の一つ。(23)の直ぐ南と
記録がされていたが探索するも見つからず。但し「高崎拓美の会」の展示会では
拓本が展示されていたから存在するのは確かなので後日問い合わせて再確認する。

碑文
 三空由九  月之比可里二  直一目   安比三四人乃  由面二四三遊流 
(みそらゆく つきのひかりに ただひとめ あいみしひとの ゆめにしみゆる)

 万葉集巻三の七一〇 安都扉娘子作 大沢雅休書 (3-709の南)

読み
 み空行く 月の光に ただ一目 あい見し人の  夢にし見ゆる

原文
 三空去 月之光二 直一目 相三師人之 夢西所見



馬庭 飯玉神社

(26)たこのねにーーー



石碑の路を終了して吉井地区。二箇所にあるがその内の入野碑は「10」と同じなのでパス。
  馬庭 飯玉神社に歌碑。



碑文・(崩し字がよく読み取れないが多分平仮名)

たこのねに よせつなはえて よすれども あにくやしづし そのかおよきに



万葉集巻十四の三四一一 作者不詳


読み
 多胡の嶺に 寄綱延(は)へて 寄すれども あにくやしづし その顔よきに

原文
 多胡能祢尓 与西都奈波倍弖 与須礼騰毛 阿尓久夜斯豆之 曽能可抱与吉尓


(27)高崎市吉井町入野碑
⑩と同じのためパス

 万葉集巻十四の三四〇三
碑文・読み
 吾が恋は まさかもかなし 草枕 多胡の入野の 奥もかなしも
原文
 安我古非波 麻左香毛可奈思 久佐麻久良 多胡能伊利野乃 於久母可奈思母

以上で11,800歩の梅雨時の暇つぶしは終了。


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2 コメント

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Unknown (egiko-ike)
2014-07-10 17:04:21
力作です。 またまた脱帽。 いくつかは目にしましたがこんなにあるんですか・・・
返信する
暇つぶし (爺イ)
2014-07-11 07:28:36
egiko-ikeさん
中々天気が定まらず間もなく本白根の
コマクサの季節が来てしまうのでいささか
焦り気味。
こんな天気が続くなら次の徘徊は市内に
文学碑と称するものが芭蕉句碑を除いて
20ヶ所あるらしいので探すとします。
返信する

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