クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

九回目の御巣鷹の尾根 H-25-9-29

2013-09-30 11:16:37 | 神流・上野村
今年も御巣鷹の尾根へ日航機事故現場の慰霊登山。村道の崩壊修復で
一時期閉鎖されていたが今月の14日から開通したので。

今回のテーマは現在、羽田空港の日航安全啓発センターに展示されている
事故現場から回収された犠牲者の遺書・メモの当事者の方々の
墓標を探し当てて線香を供えその想いを僅かでも実感することである。
あの悲惨な事故の中でもこの様な紙片が回収されたことも奇跡としか
思えないが、事故発生から激突までの修羅場でコレだけのことを
やってのけた方々の家族への想いや強さは爺イのような凡人からは正に
驚嘆以外の何物でもない。勿論、発見されな無かった遺書は多くあったに
違いない。爺イは何も出来ないが28年経った今でもこの遺書に涙する
事で自分の中で風化させない気持ちである。

快晴の秋空を眺めながら下仁田を抜けて南牧を走行する。この高齢化日本一
とされる人口2700人の村も10月には秋祭りが各所であるのでその準備を
する人たちが目立つ普通の村落。
R-45(下仁田・上野線)を飛ばして檜沢地区で「湯ノ沢トンネル」3323mへ。
このトンネルの長さは群馬県内では関越11k、八風山4471mに次いで
第三位。旧道との分岐からトンネルを経て上野村楢沢の旧道分岐までの
4932mを「ふるさと林道湯ノ沢線」と云うらしいがこの建設総工費は166億円とか。



R-299(長野・茅野市から埼玉・入間市間の国道)に合流して左折し僅かの距離の
楢原郵便局角を右折。
途中から東電管理道路に入り八つのトンネルを通過する。最初の「三峡」は
直線的だか「浜平」は左カーブ、「太神楽1号」は逆に右カーブ、不思議なのは
次の「太神楽2号」でひょうたん型に360度も曲がる。どんな地盤が
あったんだろうか? その後の虎王・長岩・手水・琴音の曲がりは少ない。

村道に入って崩落現場を確認しようとしたが綺麗に整備が完了しているので
その箇所は分からなかった。但し、噂では数年前の崩落と同じ場所とか。
駐車車両が全く見られない下の駐車場を通過。



上の駐車場所に来ると日曜日のためか?満杯状態。



登山道入り口にある道標には
昇魂の碑まで歩行距離0.8K、標高差は180mとあるからミニ登山。
右側にカウンターがある。爺イが押したところで770を示している。九月分?
脇に管理人の車を確認して一安心。500以上の墓標の中から数人の特定の
墓標を探し当てるには管理人の手助けが必要だから。以前から顔見知りになって
いる二代目管理人の「黒澤さん」が頼りなのだ。初代は故・黒澤村長から
「昭和のジャンバルジャン」と云われるほど数奇な経歴のあった「ナラカツ」こと
故・仲沢勝美さん。



登山道には木枠段とパイプの手すりが丁寧に付けられているので年寄は大助かり。
随所に熊よけの鐘がある。このルートは11月の半ばで冬季閉鎖に入るが
この時期から狩猟が解禁となるので熊・猪を求めて多数のハンターが入り込む
と云うから熊君の生息地らしい。



「すげの沢のささやき」前を通過、事故の状況が詳しく解説されている。
ご遺体が数多く発見された所謂「すげの沢」はずっと上流。



左手に通称・日航の小屋が見えてからは昇魂の碑方面とは反対のすげの沢の
突端に向かう。いかに管理人頼りと言っても出来るだけの自力探索をするために
すげの沢末端から登ることにしたのだ。
沢筋の慰霊小屋に到達。



周辺には上部と同じく多くの墓標が並ぶ。



一番端からと思って歩を進めたが途中でお一人を発見。対馬優美子さんで
アシスタントパーサーの一人。不時着を想定して書いた緊急アナウンス用の
メモ。
「おちついて下さい ベルトをはずし 身のまわりを用意して下さい
荷物は持たない 指示に従って下さい PAX(乗客)への第一声
各DOORの使用可否 機外の火災CK(チェック)
CREW(乗員)間CK ベルトを外してハイヒール荷物は持たないで
前の人2列ジャンプして機体から離れて下さい ハイヒールを脱いで下さい
荷物を持たないで下さい 年寄りや体の不自由な人に手を貸
火災 姿勢を低くしてタオルで口と鼻を覆って下さい
前の人に続いてあっちへ移動して下さい 」と。これ等は残念ながら
使われなかったので無念。




末端の「ブロック1-i」で吉村一男さん。
遺族が遺品の整理をしていて、遺書が見つかった。社用の便せんらしい紙
にボールペンで走り書きされており、勤務する会社の茶封筒の中に入っていた。
「しっかり生きてくれ。(二人の子供を)よろしく頼む」という短文。




隣の「ブロック2j」で谷口正勝さん。
機内に用意されている紙袋にシャープペンで、20字。袋に自分の運転免許証が
入っていた。
「まち子 子供よろしく 大阪みのお 谷口正勝 6 30 」




沢から登山道を上に辿るが、その他は見つからないままに昇魂の碑広場に到着。
今年、寄贈されたという新しい風車が位置を変えて設置されていた。



多くの人がこの風車を眺めるだけだが、実際には下に置かれた箱の中の風車を
祈りを込めて棒に差し込むのだ。



爺イの挿した風車はこれ。



南方には機体が触れたという尾根の切れ目。「ここに胴体がこすった」という人が
多いらしいがそれは間違い。この尾根の所では機体は大きく右に傾き、右翼が真下で
左翼が真上という状況で尾根を削ったのは右翼。ここでバウンドして裏返しの
形で山腹に激突して四散したという。



昇魂碑の正面。今年は撮り忘れたのでこれは去年の写真。



多くの人の手向けが終わってから爺イの祈り。



広場には頼りの管理人さんが見つからない。多分、どこかで整備の作業中と思って
上部に向かう。昇魂の碑の直ぐ上にも鎮魂の鐘。



ここにも慰霊小屋。



漸く黒澤さんに出会えた。顔出しO.Kとの事なので一枚。この方が慰霊登山者の
要望を何でも満たしてくれる方。本日の趣旨を話して協力を要請。



この人の主義として「管理人」などの表現は好きではなく誰でもが声を掛け易い
ように作業着の縫い取りも「山守」とするこだわりを持っている。



黒澤さんに案内されながら墓標探し再開。

「ブロック6B」で松本圭市さん。
因みにブロックNO.の付け方は下から1.2.3---、北からA.B.C---。
愛用の中型ノートにボールペンで、60字。
「PM6・・・30 知子 哲也(両親を)をたのむ 圭市
突然 ドカンといってマスクがおりた ドカンといて降下はじめる
しっかり生きろ 哲也 立派になれ」




「ブロック5B」で河口博次さん。
遺体の上着の胸ポケットに入っていた手帳に7ページにわたって、219字。
「マリコ 津慶 知代子 どうか仲良く がんばって ママをたすけて下さい
パパは本当に残念だ きっと助かるまい 原因は分らない 今五分たった
もう飛行機には乗りたくない どうか神様 たすけて下さい
きのうみんなと 食事をしたのは 最后とは
何か機内で 爆発したような形で 煙が出て 降下しだした どこえどうなるのか
津慶しっかりた(の)んだぞ ママ こんな事になるとは残念だ
さようなら 子供達の事をよろしくたのむ 今六時半だ
飛行機は まわりながら 急速に降下中だ 本当に今迄は 幸せな人生だった
と感謝している 」
これは当時の報道で一番大きく取り上げられ多くの涙を誘った。




「ブロック4B」で白井まり子さん。
フライト時刻表の余白に、24字。

「恐い 恐い 恐い 助けて 気もちが悪い 死にたくない まり子 」
当時26歳の女性の味わった恐怖がそのまま出ている。




あとの一人・村上良平さんはすげの沢の最奥なので帰路に寄る事にして二人で
一旦、昇魂の碑広場に戻る。途中で大島(坂本)九さんの墓標。



広場で暫く雑談後、爺イは日陰のベンチで軽食、黒澤さんは
管理人小屋に戻った。
帰路に「ブロック1J」に在る筈の村上さんの墓標を探しに行ったがどうしても
見つからなかった。



社名入り封筒に入っていたという。

「 機体が大きく左右にゆれている 18・30 急に降下中
水平ヒコーしている 日本航空18・00大阪行事故 死ぬかもしれない 
                             村上良平
みんな元気でくらして下さい。
さようなら 須美子 みき 恭子 賢太郎 18・45 機体は水平で安定して
酸素が少ない気分が悪るい 機内よりがんばろうの声がする
機体がどうなったかのかわからない 18・46 着陸が心配だ
スチュワーデスは冷せいだ

もう一度小屋を訪れて見つからなかったことを告げ、後日の再会を約して下山。
犠牲者皆様のご冥福を改めてお祈り申し上げます。又、来年も来ますよ。

村道があと0.7Kで終わるところにある「中止の滝」に立ち寄り。



由来説明看板もある。



地形図で見ると崖のような急斜面を登る事になる。入り口は斜面とガードレール
の間の細い隙間。



道は急斜面にジグザグに付けられているがザラ場で滑りやすく軽アイゼンが
あったほうが無難。



上に行くに従って厳しくなる道には補助ロープが現れた。



やがてこんなパイプに助けられて急登を進む。



と、突然に頼りのパイプが切れてどん詰まりかと思わせるが、沢音は遠いので
今、登っている沢の一本右が本命らしい。



前方を伺うと倒木を跨いだ先に沢の淵を回る踏み跡がありロープが見えた。



慎重に沢の突端を回ると再びパイプで極めて危険な下りに入る。
どうやら尾根を一つ跨いで隣の沢の右岸に行くらしい。



再び登りで左折。



登りきると右手に待望の滝が見えた。ここからは崖なのでロープでもなければ
滝壺には行かれそうも無いのでここで見物。落差は公称・35mだが
船尾滝のような豪快な落差は無く、先日見た魚止め・浅間大滝のような
水量も無いのでやや迫力不足。







暫く休憩も兼ねて座り込んで涼味を満喫、慎重に下って銚子橋の所に帰着。



往路と同じルートで帰路につき、途中で道の駅に寄って地元の果物を仕入れて
今日も無事に帰宅。




ご来訪のついでに下のバナーをポチッと。




コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ぶらりと小浅間山 H-25- 9-19 | トップ | 雨ん坊主へ西コースから H-2... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めてでのお願いです (AOSAN)
2022-01-02 09:34:32
たまたま、閲覧させて頂きました。
素晴らしいファイリング、かつ心もこもっておりました。
私ももう数十回慰霊登山させて頂いております。
できたら、以下、可能なら、お願い致したい限りです。

https://www.change.org/JAL123saicyousa
返信する

コメントを投稿

神流・上野村」カテゴリの最新記事