このほど東京都は大震災が起きた場合の被害想定を公表した。今回は東日本大震災を受けての見直しである。それは東京湾北部に直下地震M7.3が起こった場合と言う想定である。それはどの数字を見ても想像を超える身の毛もよだつ恐ろしい数字である。死者が約9,700人、負傷者が約14万7,600人、建物の倒壊約11万6,200棟、焼失約8万8,100棟、帰宅困難者約517万人。ざっとこんな按配だから同じ大都会に住むわれわれにもやがて必ず発生するとされる東南海大地震、果たして、生き延びるすべはあると言うのか。
ここは大阪を代表する梅田の百貨店、このまえアカトンボと化粧品売り場の横を歩いていたらいきなり白衣を着用した骸骨に出くわした、思わず後ろにのけぞった。そこでシャッターを押したのがこの写真、よく見ると首から札をぶら下げている。Meet“MrBones”と書いてある。女性の化粧品と骸骨がどう関係があるのか知らないがWakiはあまり好きではない。でも今の若い人は平気で骸骨をあしらったTシャツを平気で着用したり手提げを持ったりしている。Wakiは気が知れない。調べてみたら骸骨はセガサターンのビデオゲームのキャラクターであることがわかった。
Googleと言えばパソコンに馴染んでいる人は誰でも知っているアメリカの会社、そのGoogleが今度は[GoogleArtProject]をリリースした、これは絵画や彫刻、ストリートアートに写真など日本を含む40カ国、151の美術館や博物館の所蔵作品を今回3万点を超える高解像度の作品を閲覧出来るとともに美術館のなかをストリートビューでも見えるようにしてあたかも自分がそこにいるような感覚に浸ることができるそうしてGoogleの最も得意とする検索機能も備え日本語翻訳機能もあって実にすばらしい。きのうのパソコン同好会ではこの紹介と勉強会を行った。
ここへ来てようやく春らしくなりしのぎやすくなって来た、夕日が西に沈む頃、雲一つない空に飛行雲が夕日に映えてひときわ鮮やかだ。香里団地の木漏れ日水路周辺も夕方のウオーキングを楽しむ人も次第に増えて来た。星が瞬くころKOBAN横の小広場も星空をイメージしたLEDが灯りいい雰囲気を醸し出している。そうして家に着く頃には宵の明星が西の空に大きく瞬いていた。
ことしはどういうわけか野鳥の姿が少ないのが気になっていたが、カメラをもって歩いていると結構見かける。鳥たちは警戒心が強いのでなかなか撮らしてくれない。レンズを向けて近づくと飛び去ってしまう。名前の知らない鳥も写っている、でも写ったのを見るとなかなか可愛いい。カラスはペアで行動しているし、スズメは枝の上で仲良く愛の交換をしている、まさに春だ。
きのうは午前中は前夜からの雨が残ったが午後は次第に晴れて鮮やかな青空が戻った。あれだけ咲いていた桜もかなり散ってしまったがここ交野山系では山裾の方から山頂に向かって桜がかけ登っているところだ、山腹の木々もようやく新芽が出てきたようで、交野山頂の岩峰(標高343,5m)も春の装いから緑の季節に衣替えの最中のようだ。
きのうは朝からTVを付けっ放しで発射があるのではと待ちながらほかの事をしていた。その後TVで報道があったのは実際に発射があって40分も経ってからであった。そのご北朝鮮が認めたのが正午ごろであった。例のおばさんが神妙な面持ちで発射に失敗したことを伝えていた。世界のメディアを招待するなど異例の取り組みであったが肝心の発射の瞬間は非公開にするなどちぐはぐの対応は国の威信を失墜した、懲りない国は今後何をするか判らないそっちのほうが心配だ。今回日本政府の対応もお粗末のそしりを免れない。
Wakiの住むマンションも築10年を超えてすでに大規模補修の時期を迎えている。同年代の近隣のマンションもあちこちで足場が組まれて補修に取り組んでいる。我がマンションもそれなりの準備として積立はしてきたが詳しいことは判らない、それに今年は当番で管理組合(自治会)の役が回ってくる、忙しくなりそうだ。
桜の花が咲き出すと水の都大阪はリバークルーズのシーズン到来である。この観光船「ひまわり」は帝国ホテル大阪の桟橋を発着する観光船で桜を眺めながらリッチにホテルのランチやディナーを楽しめる。このほか大阪には帆船型観光船サンタマリア、とんぼりリバークルーズ、大阪リバークルーズなどいろいろのクルーズをたのしむことができる、大阪の川も綺麗にしないと恥ずかしいと、ときどき清掃船がやって水面のゴミを回収している。大阪造幣局の桜の通り抜けまで世界に誇るこの素晴らしい景観が楽しめる。
大阪城西の丸庭園での花見のあと城内の豊国神社の境内にある「秀石庭」を観てきた。庭は香里団地の「以楽園」と同じ重森三玲の作で最奥の三尊石組みはこの神社に祀られている秀吉を中心に両脇に弟・秀長、子・秀頼が寄り添う姿と言われる。以下錆び付いた説明看板の内容である。
「大阪城は元石山本願寺のあった場所で石山をテーマとして巨石を組みかつ日本庭園の伝統の中に石山と蓬莱山とを同時に構成されている。又神社庭園の発祥が磐座・磐境にあり石を神格化することに神社庭園の意味があるので七、五、三、に石を配した石庭になっている。豊国神社のご祭神豊臣秀吉公愛用の馬印瓢箪を地割模様とし観賞用石舞台の地紋にも瓢箪が画かれている。本庭の石は阿波(徳島県)産の泥片岩であって設計者重森三玲氏が会心の作を設計されるときの為に特に保存せられてあった巨石である。昭和四十七年十二月三日京都林泉協会四〇周年記念行事として奉納されたものである。」