枚方市は3月1日を「平和の日」と定めている。その理由は昭和14年(1939年)3月1日にこの地にあった陸軍の禁野火薬庫が大爆発を起こし多数の死傷者を出したことに由来する。当時枚方には陸軍の施設として禁野火薬庫のほかに枚方製造所、香里ヶ丘製造所があり3万もの人が弾薬製造の携わっていて兵器の町であった。この片鉾のあたりは終戦後小松製作所に払い下げられて、いまはブルトーザーなどの建設機器の生産が行われている。このほか枚方製造所の土塁、中宮の平和ロード、妙見山の煙突、などが太平洋戦争の負の遺産として残されている。
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この枚方の火薬庫の大爆発については親からよく聞かされました。戦争にまつわる負の遺産として保存する価値はあるでしょう。
枚方の禁野の製造所は明治29年に竣工されたとあるから、その歴史は至って古くトラデッショな趣がある。
八連隊については「また負けたか八連隊~・・・」という俗謡が巷に流行ったが、かつての大阪八連隊の名誉の為に事実を調べたら全くその様な俗謡のような事はなく、一度も負け戦をしたことが無いという事実が物の資料で分かった。特に明治時代の西南戦争では出撃して戦功を挙げ明治天皇から勅語を頂いた唯一の連帯で有ったとのことで、大阪人のバイタリテーは昔から他の地域より抜きんでていたことは今もその精神は脈々と受け継がれて生きているのであると小生は思う。