W A K I の気ままなトンボの目

自分流の勝手な生き方ですが、何か気付いたことを書いてみます。
コメントはタイトルをクリックしてどうぞ。

戦争の遺産 「平和の日子らが見つめるモニュメント」

2011年03月25日 | TOWN
 枚方市は3月1日を「平和の日」と定めている。その理由は昭和14年(1939年)3月1日にこの地にあった陸軍の禁野火薬庫が大爆発を起こし多数の死傷者を出したことに由来する。当時枚方には陸軍の施設として禁野火薬庫のほかに枚方製造所、香里ヶ丘製造所があり3万もの人が弾薬製造の携わっていて兵器の町であった。この片鉾のあたりは終戦後小松製作所に払い下げられて、いまはブルトーザーなどの建設機器の生産が行われている。このほか枚方製造所の土塁、中宮の平和ロード、妙見山の煙突、などが太平洋戦争の負の遺産として残されている。

コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 若者たちが立ち上がる 「支... | トップ | 大阪の恥返上 「大阪市汚名... »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はてな? (Mont)
2011-03-25 09:39:47
このモニュメント、遠くから見ると何を意味するのか分かりませんね。説明を読んでやっと納得。

この枚方の火薬庫の大爆発については親からよく聞かされました。戦争にまつわる負の遺産として保存する価値はあるでしょう。
返信する
歩兵第八連隊!!! (KUSA)
2011-03-25 13:30:41
 懐かしい軍関係のブログ、大阪は陸軍歩兵第八連隊の名が浮かぶが、この陸軍の弾薬製造所として大阪造兵工廠と枚方製造所の二つが有ったとのこと。

 枚方の禁野の製造所は明治29年に竣工されたとあるから、その歴史は至って古くトラデッショな趣がある。

 八連隊については「また負けたか八連隊~・・・」という俗謡が巷に流行ったが、かつての大阪八連隊の名誉の為に事実を調べたら全くその様な俗謡のような事はなく、一度も負け戦をしたことが無いという事実が物の資料で分かった。特に明治時代の西南戦争では出撃して戦功を挙げ明治天皇から勅語を頂いた唯一の連帯で有ったとのことで、大阪人のバイタリテーは昔から他の地域より抜きんでていたことは今もその精神は脈々と受け継がれて生きているのであると小生は思う。

    
返信する
変遷を重ねて (Waki)
2011-03-26 09:43:18
Wakiの住んでいるあたりは丘陵地の立地を生かして砲弾の火薬を製造する建屋が点在しましたが、終戦とともにすべて破壊撤収されて荒地でした。やがて朝鮮戦争がはじまり再び軍需工場再建の動きがあったのですが激しい住民運動の末、この地は東洋一と言われる団地に変貌しました。
返信する

コメントを投稿

TOWN」カテゴリの最新記事