W A K I の気ままなトンボの目

自分流の勝手な生き方ですが、何か気付いたことを書いてみます。
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71回目の終戦の日 「戦争の悲惨さ身体覚えてる」

2016年08月15日 | TOWN


 私の父は小学校を出るとすぐに大阪に奉公に出されそれを務めあげて商売を始め私が生まれたときは7人家族でした。私が2年生の時に戦況が厳しくなり父の決断で家族は今の堺市の田舎に疎開しました。そうして3月13日のアメリカ軍のB29の爆撃で大阪の店があった市場も住んでいた家も焼失しましたが私たち家族は父のおかげで命拾いしました。6月の堺市の大空襲では防空壕の前で空爆でやける状況を見ましたが、伯母の家が被災、翌々日私と兄が父の命を受けてまだ火のくすぶる中を堺東から出島まで焼け跡を歩いて向いましたが、それは口では現せない惨状そのものでした。この情景は今もトラウマとなって心に残っています。伯母の家族は助かりましたが、大きな屋敷は類焼して土居川の川べりには箪笥の引き出しだけが積んであってそばに家族が佇んでいました。それからの暮らしが大変でしたが家族一緒に暮らせたのは両親のお陰です。

コメント (2)
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