▼マスコミ三大紙を揶揄する言葉がある。「読売与太者、毎日眉唾、朝日偽紳士」と言うものだ。世間の人はよく見ていて実に巧いことを言う。言い得て妙である。ユーモアとウイットに富んでいる。マスコミの特性もよく見抜いていると感心する。
▼どちらかというと左派的な色合いの強い(と世間一般に思われている)「朝日偽紳士」に対して、日頃は中庸か右派的な色彩の濃い「与太者」読売新聞がこの頃、どういう風の吹き回しか、舌鋒鋭く教師批判や学校批判を連日繰り返している。その記事を見ると実にまともな報道である。
こういう情報が普段はなぜあまり報道されてこなかったのだろうか?逆にそんな疑問さえ浮かんでしまう。(いやいや、教育現場に携わっていた人の話を聞くと、本当は新聞記事にはならないけれどアンビリバボーな出来事がいろいろあるようだが…)
▼「教育ルネッサンス」をはじめ、読売新聞には様々な角度から教育問題に迫る記事があるが、現在の教育動向を無批判的に追認報道するなど、見方によっては当たり障りの無い記事が多かった(それはそれで良いところもあったが…)。人の耳目を惹きつける週刊誌的な見出しのつけ方の妙味に比して、「教育の事件簿」的な記事の取り上げ方は──事件の報道以外は──比較的少なかった。その目配せの多様さが報道の良さでもあり、突っ込みの物足りなさにもなっていた。
▼その読売新聞も、遂に業を煮やしたというのか、現場で起きた事件を紹介しながら、その返す刀で鋭く学校教育批判を繰り広げはじめたようにも見える。(いやいやもしかすると、これは読売の教育への報道のスタンスが変わったというよりも、天下の読売さえも動かずにはいられない事態が教育現場で次々と生じてきているということかもしれない。一方で日教組に批判的な報道姿勢はあったが)。
学校や教師の不祥事が連日報じられ、身内のなあなあ主義が白日のもとに晒され、幾つもの子どもの自殺の報道も続き、学校や教師側の対応のおかしさも報じられた。
▼たとえば、群馬県桐生市の小6女子のいじめ自殺も、もし父親が正義の怒りに奮える人ではなく泣き寝入りしてしまうような人であったなら、学校はこの事件をいじめと捉えることもなく、自殺するまでに無念な思いで一杯であったであろうその女子は自分の思いを誰にも受け止められることもなく、校長も担任も周りの子ども達もこの事件に無自覚なまま忘却されることになったであろう。
そこに新聞が詳しく報じたことも意味は大きい。「個人情報だから…」などという取って付けた言い訳に乗ってはいけないのだ。
▼昨日のマスコミの報道には、教師同士の中学校内での淫行の記事まで載っている(29日付産経新聞)。これではもう「亡国の学校教育」と言うしかない。もしマスコミに、今沈没しつつある泥船・日本丸の行く先を憂える視点があるのであれば、教育委員会や学校の言うことを垂れ流し記事で埋めるようであってはならないだろう。
しかし、日本と韓国の教育を比較した読売新聞の記事などを読むと、相変わらずまだワンパターンの思考(記事)が目に付く。もし、教育現場に分け入って生の現場を検証し、腑分けし、そこから記事を書き上げようとするなら、教育報道に携わる記者たちの更なる勉強と研鑽に期待しなければならない。
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