教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

「視考力」の教育的可能性について(1)

2010年06月05日 | 視考力
(今は新版が出ていますが、紹介です) 
▼「視考力」とは何か
“「思考力」なら分かるが「視考力」という言葉は知らない”という人が多いかもしれない。パソコンでの日本語変換でもまず登録されていないし、もちろん辞書にもない。私の知る限り、これは完全な造語なのだ。「誰が考えた造語か」と言えば、知る人ぞ知る「どんぐり倶楽部」を運営している糸山泰造さんという方の造語である。別の言葉で言えば、「イメージ・シンキング」とか「ヴィジュアル・シンキング」とかなるのかもしれない。が、私には「視考力」という漢字の響きが好きである。(「図解思考」というのもこの仲間かもしれない。)
▼「視考力」と「絶対学力」
糸山さんの考える「視考力」というものは、彼の経営する「どんぐり倶楽部」や彼の書かれた『絶対学力』、あるいは彼の手になる教材(手元には『三角計算』『絵で解く算数』などがある)などから察するに、もしかするともっと深い考え方に基づいているのかもしれない。
彼の守備範囲は算数・数学的思考とその周辺にあるようだが、それは論理的思考とか数理的図解思考という領域に留まらず、いわゆるロジカル・シンキングとかクリティカル・シンキングと呼ばれる領域にまで及んでいるように見える。
だから、彼の唱える「視考力」とは、算数・数理的な考え方とそれ以前の視覚による認識と考察とを統合したものと考えていいのではないか、と私は勝手に解釈している。そして、それは彼の唱えるもっとも根幹となる考え方=「絶対学力」(これもかれの造語ではないかな)に行き着くのだ。
▼「絶対学力」とは何か
では、「絶対学力」とは何なのか。これの詳しい解説は『絶対学力』『新絶対学力』(共に糸山泰造著)に譲りたい。私は彼の忠実な伝道者ではないから、勝手な解釈をしないとも限らない。いや、そもそも解釈とは勝手な読み替えなのだと思っている人間である。だから、正確を記する意味でも、関心があるなら是非、一読をお勧めする。確実にその価値はあると私は思っている。
ただ、私流に一言で要約させてもらえるならば、「絶対学力」とは「学力以前の学力」、人になる以前の人の器づくり&感覚の受容体づくり、パソコンに例えるならば様々なアプリケーションがサクサクと動くOSづくり、に当たるものだ、とこれまた勝手に解釈している。
(2)に続く
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