政治も教育も人間の為す業、相対の問題に過ぎない。
昔も今も、理想的な政治を夢想する御仁がいるようだが、政治とは所詮人間界での駆け引き。人は神ではないように、政治の世界にもあまり完璧を求めない方がいいようだ。今回の小沢一郎氏と西松建設との関係もそうだろう。全ては“どちらがいいか”の相対の世界の出来事である。理想を求めても仕様がないし落胆し過ぎるのも考え物だ。
今回の小沢氏の一件には、“陥穽の罠にはまったな”という感想を持つ。考えてみれば麻生内閣が誕生しその官房副長官に漆間巌元警察庁長官が任命された時から予想されたことでもあった。麻生内閣とは小沢氏の刺客を目的として作られたものではないか。自民再建ではなく死なばもろ共の内閣である。
それに日本が今後も自国の属国であることを望むアメリカは、クリントン氏の訪日に際して対等の関係作りを目指し、会う都合がつかないと最初言っていた“小沢を潰せ”の指令が出たのだという話もある。(クリントン氏は麻生氏よりも小沢氏と一番話がしたかったような節がある)
アメリカに潰された日本の政治家の例として田中角栄氏があげられる。アメリカの一方的支配を脱し石油エネルギーの利権をめぐってアラブとの独自の関係作りに傾いた田中角栄氏が邪魔になり葬り去られたとされる、いわゆるコーチャンメモによるロッキード事件である。
正直、私は政治の世界にはほとんど音痴である。政治的駆け引きなどの才能はまるでない。だから、逆の意味でそういう世界がよく見える(と自分では思っている)。麻生氏は“してやったり”とにんまり顔かも知れない。でも、敵さんを冥途への道連れにするのはいいが、それで彼自身の株が上がるわけではないだろう。今、政治に必要なのは明日への確かな展望なのだ。
蛇足だが、昨日、県教委が主催した“親のための不登校セミナー”に出席し、壇上で話す一人となった。その時、私は学校教育の失敗について少し触れた。補足して言えばこういうことである。「教育の目的は次代の社会人を育成することではないか。よく学校では校長が“学校は勉強するところである。学校とは社会性を身につけるところである”と口にする。そうに違いないと私も思う。でも、日本の学校教育はこの二つ共に失敗しているのではないか。麻生氏などを見て特にそう思う」と。
これも蛇足だ。麻生氏が正月の書初めで、「廿十一」と書いたことが話題になったことはまだ記憶に新しいが、そもそもその書初めの文字「安心」「活力」という表記に問題があったということをあるメルマガで偶然知った。そこで、自分で確かめてみた。本当だった。
麻生氏が掲げる色紙の「安心」という字の「安」の“うかんむり”が“なべぶた”になっているのだ。これではとても彼の政治のやり方に安心できないことになる。ちなみに、漢字の国中国では、あの程度のレベルの漢字が書けないということは、余程知能に問題がある人間ということになるようである。
やれやれ、国家の機密事項をこうも易々と自身が隣国に漏らしてしまうとは!韓国の野球ファンではないけれど“国辱”的な思いさえする。“わが国の指導者は知恵も知識もある”とどこかの国民のように自慢してみたいものである。所詮小国民である私はそんなことを思ったりする。
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