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旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

山口県を歩く・・長門 ・ 津和野 ・ 津和野歩く②

2016年05月06日 | 山口県を歩く

津和野を歩く2回目 (2016.11) 

山口に滞在中 堀庭園の紅葉が見ごろと聞いて再び津和野行く

 奥津和野、昔は石見の国畑迫村、山から銀銅が取れたので徳川の天領だった
堀家は銅山年寄り役を世襲、300年続く名家 現在は国指定の名勝となっている

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 建物内部も凝っていて立派だった

  

 客殿「楽山荘」は庭の紅葉が見ごろ美しかった

    

この堀家が明治に建てた「畑迫病院」は地元の為の私立病院
その内部が展示(写真不可)
診察室、手術室、検査室、外科室、看護婦控室、病室など昭和まで続いた地域の病院を見る

   

  前回行けなかった「森鴎外記念館」に行く
軍医として文筆家として名を成した鴎外の資料を展示
遺言で「石見人森林太郎として死せんと欲す」と言ったそうだ

  

 

 隣に生家が残る

 

津和野川の鉄の橋を渡り 「西周旧居」に行く 国の史跡指定
西周は哲学者、西洋の思想啓蒙家、「理性」「主観」「哲学」「化学」「心理」等の言葉を創造した人
今、当たり前に使っている言葉が江戸時代には無かった訳

   

 津和野名物「源氏巻」の店 

 

 期待して行った「杜塾美術館」は休館 津和野藩の庄屋屋敷だったから見たかったのに

 

郷土館も休館で見れず 残念だった どうも日にちが悪かった

  

 太鼓谷稲荷神社の大鳥居 ここからJR津和野駅までの通りが有名な鯉の泳ぐ道で景観保存地区
鷺舞の像が建つ

  

 多胡家老門もここにある

   

津和野は大きな町ではないが、2回目でやっと全体が判った気がする
安野光雅美術館まで見物したら2日から3日は必要だろう


 津和野を歩く (2016.8)

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津和野は島根県だけど、山口から車で行ったので「山口を歩く」に入れた
昔行ったことがあるが久しぶりである

国道9号線で北に向かう 途中の「徳佐」はリンゴの産地 寒いので山口県でもリンゴが実る

   

県境に道の駅「願成就温泉」がある 温泉に入れるので人気

  

この先のトンネルを通ると島根県
国道9号沿いに赤い鳥居があり、ここから津和野に向かう
急なカーブの道を下って、先ずは稲荷神社に向かう

正式名称は「太鼓谷稲荷神社」車で社殿下まで行くことが出来る
手洗い側にお供え用の「お揚げ」を売っている 

  

本殿は立派だった 町を見渡せる高台にある

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でも、稲荷神社は赤い鳥居の表門から通らねば価値がない
川沿いの表門近くに車を止めて、登る

  

鳥居のトンネルがジグザグに続く
 

 歩いて登った表門は厳かだった

  

本殿下では車のお祓いをしていた

 下までおりて、弥生神社へ ここは鷺舞で有名な神社
毎年7月に優雅に鷺が舞うそうだ (画像はインターネットから借用)

 

 駐車場に車を止めて 殿町通りを駅に向かって歩く
鯉で有名な通りだ 整備されている 

   

山陰の小京都言われ 日本遺産に指定された街 
住民の協力で街並みを揃えているから観光地になる

  

カトリック教会は畳式だった ステンドグラスが美しい

  

JR津和野駅を通り過ぎると「安藤光雅美術館」がある
細密で楽しい安藤の絵が私は好きだが、以前ゆっくり見たので今回はパス

以前行かなかった山側の「乙女峠」と「栄明寺」に行く

乙女峠はキリシタン殉教の地
明治に長崎県浦上で発見された隠れキリシタン153人をこの津和野に連行
収容した場所に教会が建てられ、史跡として残る

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栄明寺は古いお寺だった 藁屋根のお寺は珍しいが手入れされてないのが惜しい
  

木魚 板戸絵 ふすま絵も見応えあるし、お庭も立派 

 

 

 墓所には森鴎外の墓がある

  

 森鴎外の旧宅、記念館には今回は行かず、次回に残した

 おわり 


山口県を歩く・・長門&下関北部 (2016.5)

5月の連休のさわやかな日に長門市方面をドライブした
目的地は外国雑誌に掲載されて人気の場所を見に行くため

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山口県のガードレールは黄色い、夏ミカン色だそうだ
瓦の赤い家も多い 単線の山陰線が走るのに出会えた

  

千畳敷公園から日本海を眺めるが、波静かで穏やかだった
黄砂ですっきりは見えない

  

ここからシャトルバスで目指す「元乃隅稲荷神社」に行く

バスは細い道を下り岬の先端へ行く 
「元乃隅稲荷神社」は京都の伏見稲荷の迫力はないが、海を背景にする美しさだった

   

鳥居に上の賽銭箱がある みんなが狙って投げ入れる 入れば幸運

岬の岩の先端に「竜宮の潮吹き」という昔からの名所があるが、波穏やかで潮吹きは見れない

 

次は日本のキーウエストと言われる「角島大橋」を渡る
立派な橋が無料、観光客で賑わう

   

島の先端の灯台は日本海初の洋式灯台1875年に建てられた
内部も見たかったが、駐車場所が見つからず車内からの写真のみ
 

北浦海岸をドライブ 右側に海を見て快適
普段は車も少ないそうだが、休みの今日は対向車も多かった

川棚温泉で「たかせ」で名物「瓦そば」を食べる
西南の役で薩摩軍の兵士たちが瓦を焼いて料理したのをヒントに作ったもの
茶そばに牛肉、錦糸卵を乗せる
   

終わり 


山口県を歩く・・山口市 ・岩国 ・美祢

2014年10月06日 | 山口県を歩く

山口市 

 山口市内でボランティアにより開催されている「維新策源地ウォーク」に参加した 

集合場所は香山公園前の観光案内所 参加者は15名だった
語り部の案内で香山公園から出発 

瑠璃光寺の五重の塔は室町時代の大内氏により作られた 檜皮葺の塔で軽快である 

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京都が応仁の乱後に治安が乱れていたころ、大内氏は山口で西の京と言われて栄えていた
雪舟もこの山口で過ごしている 

   

瑠璃光寺と大内弘世の銅像 

    

公園内に移築された「枕流亭」 薩長連合の密議がここでされた 

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毛利家の墓の前の石畳は「うぐいすばり」で有名
中央で足を踏むとキューと音がする 柏手をたたくとエコーが返ってくる 

    

「洞春寺」 毛利元就の菩提寺 山門は重要文化財 

     

裏の墓地に「井上馨」立派な墓があった 東京から分骨されたと言う 

 

洞春寺を建てる前は 大内家の国清寺があったので 
一切経の八角輪蔵の礎石跡が残る  毛利家の時に京都三井寺、園城寺に寄進されたそうだ
http://www.shiga-miidera.or.jp/treasure/building/08.htm
三井寺で公開チャンスがあれば見たいと思う 

     

明治の県庁舎 今は資料館になっていて、館内を見ることが出来る
   

    

藩庁門 
ペルー来航以降 萩城は海沿いなので外敵に弱いからと毛利藩は山口に藩庁を移した
その時の門が残る 毛利家もここに移ったので、ドラマの「文」は久坂の死後、ここに出仕していたそうだ 

    

一の坂川 
小さな川だが今は蛍が飛ぶ 萩往還の通り道 近くに明倫館跡がある
大村益次郎が兵学を教えていた

    

十朋亭
醤油製造をしていた萬代家の離れで、藩の役人の宿泊所として使われ、志士たちのたまり場になっていた場所 

  

松蔭の実兄 杉民治の私塾も残る 

    

龍福寺(大内氏屋敷跡)
歴代大内の広大な屋敷跡 大内義隆滅亡後、毛利家が菩提を弔うため建てた寺
境内に義隆の墓がある 

  

 

 一の坂川沿いに「錦の御旗製作所跡」がある 
官軍のシンボルは岩倉卿の指示で京都で材料を仕入れここで作られた 

 

TV「花燃ゆ」に関係する場所が見れて面白かった
おわり 


 岩国

錦帯橋

関ヶ原の後に岩国を治めた吉川家,三代目当主の広嘉が1673年にアーチ形の橋を懸けたのが最初
地元民は「橋出米」で維持管理をしたそうだ

1950年のキジア台風の豪雨で流され、1953年に再建 2004年に架け替えたのが現在の橋
保存に防腐剤塗りの工事をしていた
  

橋の入り口で、通行料、城へのロープウェー、入城料込の切符を買って渡る

木の橋の感触は優しかったが、傷みも激しいだろうと思う
  

岩国城

公園を通り抜けて、ロープウェー乗り場に行く
小雨模様だったが眼下に錦帯橋が見える
   

お城までの道は山城らしく、昔の石垣が残る
   

1603年に吉川広家が建てた山城は、徳川の「一国一城令」により7年後に取り壊されたという
現在の城は1962年再建されたもの、内部は武具や錦帯橋の展示場になっていた
 

最上階は展望台で町を見下ろす 霞んで視界は良くなかったが・・
  


白蛇 
 

 国の天然記念物に指定されている「岩国の白蛇観覧所」はロープウィーのすぐ近くにあった

ガラスケースの中に絡まっていた 本当に真っ白で目が赤い
幸運を呼ぶ家の守り神として保護されていているという
  

 吉香公園

吉香神社は重要文化財とか 檜皮葺の美しい形の神社だった
   

「美しき天然」♪そらに―かがやく♪ を作曲した田中穂積は岩国出身だった
宇野千代も岩国出身で生家が残されている
  

 

吉川資料館 

吉川資料館に入る 立派な屋敷跡が保存されていた
  

資料の写真は禁止だったが、黒田長政、徳川家康、秀吉 など戦国最後の時代の手紙類が沢山あった
時代を動かした人々の記録である

 隠居所「昌明館」の長屋の屋根瓦の葺き方が特殊
「二平葺」と言い、両袖瓦と平瓦の二枚と組み合わせた屋根 現在は生産されていないそうだ
  

普通なこちらのように片袖の瓦を重ねる
 

食べ物 

昼時になったので名物の岩国寿司を探して昼食にする 岩国寿司は押し寿司だった
レンコンも岩国の名物 煮物が一緒だった
 

ここはソフトクリームも有名 100種類あると言う
「むさし」と「小次郎」の二軒向かい合って競争している
     

TVの番組にも出たとかで、修学旅行生が立ち寄る場所だ
一番人気が「夏みかんソフト」で、ワーストは「ニンニクソフト」と聞いた

おわり


山口県を歩く・・美祢

 今回も「社会派ツアー」の「美祢コース」に参加した

美祢市役所からスタート
  

市役所の裏は河川公園になっていて、川沿いは桜並木で春はきれいだろうと思う
  

先ずは歴史民俗資料館を見学

   

民俗資料館だが、許可を得て化石の展示もしてるそうで、シダやイチョウなど沢山の化石を見る
昔のイチョウの葉は今の様に扇形でなく、切れ目が入っていたそうだ
  

  

別の部屋ではコウモリの骨の分類展示がきれいに並んでいてびっくりする
拡大されているのは「あごの骨」
  

美祢の「大峰炭田」では良質な無煙炭が出土した
これを明治の海軍が戦艦の為に利用したのでこの地方は発展したそうだ
そんな昔の炭鉱資料が展示されていた
   

資料館の外には生きた化石のイチョウ、メタセコイヤ、ナギ植えてあった
  

バスで移動して炭鉱跡地を見た
明治の海軍が作った炭鉱施設はしっかりしていて、今は宇部サンドと言う研磨剤用の砂工場が使っている
私たちはヘルメット被って見学する
  

  

  


無煙炭の盛んな頃は炭鉱だけで2万人以上の人が住んでいたという
炭鉱は戦後まで続いたがその後閉山
ハモニカ長屋と言われた炭鉱住宅は無人となった

美祢市はこの土地を工業団地用に整地して企業誘致を図ったが上手く行かなかった
そこで官民協働の刑務所誘致を決め、2007年4月に開設されたのが
今話題の「美祢社会復帰促進センター」である

  

刑務所らしくないフェンスで囲まれた明るい施設だったが、私たち見学者は
カメラ、携帯、財布、食物、帽子まで 持ち込みは禁止
すべてをバスの中に置いて施設に入った

セキュリティ検査を通って会議室へ ここで昼食 受刑者と同じ麦飯を食べる
写真はパンフレットからのコピー
私達が食べたのは、ビーフシチュー、和え物、サラダ、麦ごはん、ボリュームもあり充実していると思った

食事しながらビデオでの説明を見た後、施設内を集団で歩く 中は広い!

敷地総面積280,622㎡
収容者は初犯受刑者で刑期が1-2年の人だそうで
 男性:500人、 女性:800人
職員は仕事の分担で、国から:175人、民間職員:820人

個室も覗いたがすべて一人部屋で、こぎれい(写真はパンフレットから)
職業訓練で資格まで取れるという恵まれた施設だ
  

しかしここは刑務所、私たちの前後に警備員がついて張り詰めた雰囲気だった
だけど普通では見れない刑務所に入れたのは、こんな社会見学のツアーだからこそと思う

おわり



山口県を歩く・・萩&長府・萩&須佐・防府・宇部・

2014年06月25日 | 山口県を歩く

2015年の大河ドラマに松蔭の妹が主人公ということで、何十年ぶりに萩を観光した
昔行った時より整備されていて、白壁もきれいになっていた

途中の道の駅「萩往還」ゲートとのぼりに大河ドラマ決定の喜びが表現されていた
  

先ずは、萩城跡 廃藩置県の時に率先にて壊したそうで、石垣が残る 背後の指月山には出城もあった
  

天守閣跡に上る 壊す前の写真が残っていた
  

城跡奥に毛利家を祭る神社がある 明治維新後に建てられたもの
  

拝殿に上がるところに馬用の水飲み場があった 明治のころは馬でここまで来たのだと感慨

 

堀をめぐる遊覧船に乗る
 

この堀は海の水 ちょうど満潮時間で橋との間隔が狭く 屋根を下げてくぐり海に出る
  

指月山の周辺は石垣で囲まれていた これは蒙古再襲来を意識して築かれたという

家臣たちの城下町は区画整備され、今でも車が通れる広さの道だった
 

高杉晋作の像と夏みかんの木
職を失った武士たちは屋敷内に夏みかんを植えて生計を助けたという
夏みかんの収入は良く、屋敷内のみかん畑は農地並税で税金も安かった
おかげで土地が切り売りされることなく、今の観光地になったそうだ
  

高杉晋作の生家 

室内に家を守った「まさ」さんの写真 晋作は「おうの」を囲っていた
今は、高杉晋作を尊敬する人が買い取り、住みながら守っている

  

重要文化財「菊谷家住宅」 毛利家を支えた商人の家
  

御成門は徳川の使いが来た時に使い、家人は勝手口のみの利用だった
門に続く庭の中央のに「お駕籠」乗せる岩がある
  

部屋にはいろんな展示があった 
柱にかけてある時計は伊藤博文が「岩倉使節団」でアメリカに行った時の土産という
それほどこの菊谷家に援助されていた
   

奥には蔵が建ち、千両箱を入れる地下蔵もあったが、私は女性たちが働く台所に興味があった
  

街のあちこちに「萩焼」の店がある
 

松蔭神社に行く 周辺は思い出と違うほど整備されていた
「松下村塾」は同じままの小さな家だった
 

松蔭の生家 杉家も移築されていて お預け蟄居の3畳間の部屋もあった

この「お預け」の間に松蔭は若い門弟たちに自分の知識を心情を教えたそうだ
限られた命の必死さと情熱が子弟に伝わり、この萩から志のある人物が出たのだと思う
  

松蔭神社から少し離れたところに生誕地と墓所があるそうで行ってみたが驚いた
明治維新の話に出てくる人物が沢山だった

松蔭像とお墓の人物 それぞれに立札で説明があり判りやすかった
 

松蔭の妹・文と結婚した 久坂玄瑞の墓
 

左 高杉晋作 右吉田松陰
    

大阪商工会議所・会頭の杉道助の質素な墓は「祖先より立派にするな」の遺言という


毛利家のお墓 東光寺と大照院に行く

東光寺は三角州の萩市の川を渡る東側にあり黄檗宗、大照院は西側で臨済宗であり
東光時には歴代奇数の当主祭られ、大照院には偶数の当主が眠っている

東光寺の山門伽藍は立派だった
 

  

墓所は鳥居が建ち、墓石は位牌風、囲むように家臣が寄進した灯篭が並で迫力の墓所だ
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 大照院は修復中 

毛利家墓所は同じよう並びだったが、墓石は五輪塔
一代毎にお寺が変わるのは不思議だが、政治的バランス感覚なのだろうか

  

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このほかの萩の見どころ

道路拡張で発掘された大砲鋳造所 下関でイギリスと戦った時の大砲はここで作られた

     

近代化工業遺産に登録中の「萩反射炉」
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長府

高杉晋作を追って長府へ行く

長府功山寺は沢山の歴史に関わったお寺 戦国時代に大内氏がここで滅亡
維新時に七卿都落ちして隠れ住んだ そして高杉晋作が決起した場所
晋作の騎馬像がある
  

ここのお寺の水は名水で枯れることなく 歴史の人々に飲まれたそうだ
   

東行庵

騎兵隊の陣屋があったところで、晋作没後、おうのが庵を結び晋作を弔った
今は公園になって、晋作餅を売っている
  


花ショウブがきれいに咲いていた
  

 

おわり 


明神池

萩市内から北に位置する半島 笠山の下の明神池に行く
笠山は112mの火山 溶岩がこの池を作ったが、隙間から海水が入るので海の魚がこの池で生息している


この池の奥に溶岩でできた「風穴」
どこから来るのか不明らしいが、冷たい風が穴から吹いてきていた

  

 

ホルンフェルス

この後、海岸沿いのR191の北上して須佐に、ホルンフェルス断層を見に行く
  

日本海の水は青く綺麗で、遠くから見た断層は普通の岩にしか見えなかったが
近くで見ると100m高さは迫力 縞目が美しかった
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防府天満宮

防府天満宮は菅原道真公が大宰府に西下の途中に本州最後の寄港地として立ち寄った場所で
日本で最初に創建された天神さんと言う
   

検非違使が両側で守っている
   

牛の像も立派

境内に市内最古の碑文が建っている、書かれているのは
「道真が優れていた事 西下の途中に、ここ勝間浦に立ち寄り、4ケ月滞在したこと
大宰府で崩御の後、周防国司がこのお宮を建立したこと、大内氏や重源が改修したことなど」

だけど完全に解読されていない もし全部読破は出来たら台座の亀が動くそうだ

 

旧毛利家本邸・毛利氏庭園

大正初めに作られた毛利家の本邸 私はこの冬、東京で岩崎邸、六義園、横浜の三溪園などを見たが
この毛利邸はそれらと同じ見事さだと思った

先ず、入口の門が立派
   

長いアプローチを通って、車回しと唐門の玄関に着く
  

一枚板の廊下と大広間
  

天井は格子天井 時代物の電灯がつく
床の間の掛け軸は「百万一心」ばらして読むと,
「1日1力1心」と読む
  

当時最新の風呂場 と 女中詰所
  

毛利家の家紋は、本家毛利と分家毛利では「横一」の書き方が違う

庭園は広く松ノ木が見事だった これだけの庭を手入れしながら保つのは大変だ
これが東京だったら、観光客も多いだろうが 地方の衰退はひどいと思う


   


国分寺

 奈良時代に聖武天皇の勅願により官寺として国分寺が置かれたが、周防の国では防府がその地となった 
皇室との因縁も深く当時の規模は壮大で七堂伽藍と25ヵ寺の塔頭があったそうだ
だから、平安時代に菅原道真も滞在した?

現在でも立派な寺だったが観光客は少なく 金堂内は社務所で拝観料を払って入れてもらう状態
しかし内部の仏像は京都の寺に負けない見事さだった
本尊は薬師如来、両脇に日光・月光菩薩 四天王が守り、十二神像まで並んでいた

高橋のぶ子が防府出身 
彼女の自伝的アニメ「マイマイ新子」を見ていたので、その映画に出てきた国分寺を私は見たかった
   
  

鋳銭司

 周防鋳銭司跡は平安時代の貨幣鋳造所だった所 沢山の遺物が発掘されている
和同開珎がここで作られた 
  

しかし平安時代の公的貨幣は広がらず
600年間公的鋳造は無く、やっと江戸時代に全国的な通貨が出来たそうだ



ここ鋳銭司は幕末・維新に活躍した「大村益次郎」の生誕地
この資料館は彼の資料館でもあった 銅像や生い立ちが展示されていた
  

日本では偉い人は「神様」に成る? すぐ横に「大村神社」があった
 

堂内に益次郎の肖像画が飾ってある

  

司馬遼太郎の「花神」の主人公 TVドラマにもなった そんな記録も残る

      

おわり 


山口県を歩く・・宇部(セメントの道)

先日テレビで露天掘りの鉱山の映像をやっていた
日本にこんな所があると知って、googleで調べてみたら大きな堀跡が見つかった

現場を見てみたいなあと思っていたら、「大人の社会見学」のツアーが企画されていた
山口県の宇部、美祢、山陽小野田の3市が合同企画した観光ツアーである

その中の一番人気「石灰石鉱山と宇部興産専用道路」ツアーに参加した

でも当日は雨だった!!

 集合場所の宇部空港からバスに乗る 宇部市内、小野田市内、新幹線厚狭駅で参加者を乗せる
参加者は東京、千葉、大阪、福岡など遠くから来た人も多い

最初の目的地、秋吉台科学博物館へ行く

この博物館でこの地域の地形や秋吉台地の石灰岩の分布などの話を聞く
秋吉台や秋芳洞のあるエリアは観光地として保存、西側を産業用に使用しているそうだ
   

展望台からのカルスト台地の眺めも雨で残念

昼食後、宇部興産伊佐セメント工場に行く

いきなり石灰石を焼いているキルンの大きなパイプを見る
    

この後、採石場へ  期待以上に広大だった      

 向こう側まで1.3㎞あるという
近くで見ると大きなダンプトラックが、はるか先で蟻のように小さく作業していた
      

ここから宇部興産専用道路を走るが、私の席は後ろで車内からはこんな写真しか取れなかった
たまにトラックと会う程度で他の車は走っていない

全長約30kmあり、日本最大の私有導路だ 並走する中国高速道と交差するがこの道路が上を走る
以前はJR美祢線の貨物を利用していたが、ストや運転遅れのトラブルから専用道路を作ったと言う

 ここは私有地なので、道路交通法は適用されない、道路のメンテナンスは自前
だから、特殊車両が走れる 信号は無く 無免許OK (でも、ここで運転手になるには大型免許と訓練が必要)

この特殊貨物車に伊佐工場のキルンで出来たクリンカを積んで運ぶ
一貨車に40トン、二両編成で合計80トンを積む、トラックの重さを加えると100トン近くになる
この重さで専用道路を往復する、ガソリンの燃費は1リットル=1.3kmだそうだ

石灰石運ぶのにを宇部興産は専用道路を作ったが、住友大阪セメントは、同じ美祢の鉱山から
日本海側の長門市の工場に「ベルトコンベア」で運ぶと聞いた。経営効率はどちらがいいのだろう


トレーラー整備工場を見学  車両の説明を聞く 
夜になるとここに専用車がずらりと並ぶそうだ

  

運転席に試乗させてくれた 私もこの高い席に座ってみた

興産橋をわたる この橋も自前で作ったそうだ バスからの写真は横しか撮れなかったので興産のHPから頂く
   

UBE-i-Plazaは会社紹介の展示場  宇部興産の歴史や製品の説明を聞く
   

クリックで 宇部市や専用道が見える

マスコットのロボット犬に見送られて、見学を終了

「大人の社会見学」は思った以上に面白かった このコースはお勧めと思う
興産道路を通る時はバスのまえの席に座りたかったけれど・・

追記

別の日に長門市に行った時、住友セメントのベルトコンベアを見た
道路を横切って海の上の船に続いていた

    

参考に追加しておく

おわり