語源について、はなす を考えたことがある。話す、と表記し、語る という語に入れ替わる現象が、日本語の、語、話、そして、言を文字とすることばである。説ということばも 文字によって、話すことであったのであろうが、説話というジャンルにして取り入れたこともあり、説よりも、話となった。しかし、話す となるには、はなす という語に、咄、噺の語を文字に作り出した経緯があり、はなす というのは、どういう意味内容をもたせることとなったか。はなつ はなる、そして、はなす が語源にあるのではないかと類推をした。
いま、もちいている、使われる、話すというのは、語るということであった。語る について、その言語行為が渡り合う意味内容に、そのうちの、談話にあたる見聞を相手に伝える、これが、話す のことに、いわば交代する。語ることと話すことと、ふたつのことは重なり合うが、12世紀、16世紀と、中央語が畿内から広がることによって、使い方が、話者によって、話しひろめことと、交替をしたのである。
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話し言葉を学習するステップには、です、ます、と文体でとらえる語末の言い方から始まる。tabemasu mimasu という語形が、文の中でとらえられる。pan-o tabe-masu terebi-o mi-masu 日本語の話ことばに文体を分けるのは、初級段階のステップの段階にある。わたしたちの日常語で、国語では話し言葉に意識することなく、敬体と常体を使っている。それはどのように使い分けているかを考えると、文体の別は重要であるだけでなく、その習得には順序をもってするかどうかが考えられなければならない。言語として日本語を見れば、それはいずれにも用法があることなので、その区別をもって日本語学習にはどのスタイルから学ぶのがよいかということになる。これは議論するまでもなく、話し言葉の様子を聞いていれば、いきなり、普通のスタイルで話かけるのは限定される。会話で、話し相手がいて、そのときに話し始めるのは敬語であるから、それをふつうに話す言葉として、敬体を学ぶとよいことが分かる。
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