国語から日本語へと、その緩やかな変化は平成時代の出来事であった。画期となる国語の学界名称を日本語学へと変えたのは、国語学会から日本語学会へ、2005年発行日付をもって、日本語の研究となった。平成の半ばに変化を作ったと歴史事実には時日を記録することになる。それを10年少しさかのぼる、日本語論の、雑誌刊行はその名称を冠してのさきがけでもある。実は、国語教育と日本語教育をうたって、日本語学が1982年に出版社によって刊行されていた。平成になる前の、1982年であるから、日本語学という、その揺籃期には日本語の教育動向を見逃すことはできない。日本語言語研究を、日本語自らに切り拓いたのは、日本語教育である。平成のデキゴトロジーはまさに国語が日本語になる時代であったと、この雑誌の特集号の編まれた1994年に合わせてみてよい。しかし、その雑誌の果たした役割は、ちょうど2004年までの時期に日本語の呼称をすることの啓蒙をみることであり、それを見ることは限られてしまっている。出版社にも、2011年1月号バックナンバーまでは、そうであろうが、在庫がない。
※2007年1月号~のバックナンバー
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2000日の記録である。年にして6年半ば近くになるか。2013年からgooブログにそれこそ、ログがある。その数はおよそ5600を超えて、書き綴っている。アクセス解析で、日毎に200から400になる訪問があり、ページについては700から1500ぐらい、一日あたりである。これはまた、閲覧数の合計は14,886PV、訪問者数の合計は4,228IP ということのようであるが、およそ200万あるこのサイトで、3000から4000番台にある。ひところ2000番台を超えて驚いたことがあるが、広告を掲載しない契約で、これほどに訪問をいただくのはありがたいことである。ただタブレットのほうに行けば、PCにはない広告が出てくるので、複雑な思いがある。カテゴリーに分けてはいるが、あまり役立たないので、恐縮そのもの、現代日本語についても、日記ベースになると、弁解なく、申し訳ありません… このタイトルはほかにはないので、愛用をしてきています…… . . . 本文を読む