日本語が言うところの、美しいとは、言葉遣い、敬語、そしてその響きにある。そのそれぞれが接遇、接客のことばである。相手への言葉遣いにその場にふさわしい敬語をもって声の響きよろしく応接する、それを聞くときに、日本語は美しいと思う、ということである。なぜそう思うか、そのように受け止めることになるか、応対を受けてその美しさを聞くことになるかどうかであるが、その行為とともにある日本語であるから、一方的なやり取りを聞いて美しいと思うか、その場のすべてにおいて実感するかどうかである。 . . . 本文を読む
中朝、米朝の駆け引きが始まった。米中会談で米韓の軍事演習は容認されていたとするもそれを北朝鮮が非難をしたことで米大統領は中国習氏のポーカープレーに世界一流と皮肉った。核実験場坑道の公開爆破と言うパフォーマンスにも専門家と国連の査察団がいなかったことでメディアに向けた宣伝に過ぎないと受け止められて、朝鮮半島の非核化とする話し合いは行く先不透明である。日本の新聞などメディアが伝えるニュースは米国からの発信記事をもって南北首脳会談の動静を解説する。しかしここにきて米国寄りと中朝に配慮する報道が目立ってきている。このトピックだけではないのだがメディアの報道姿勢にはそのバランスが変わるようである。 . . . 本文を読む