しろん・じろん、これは、わたしの、もつ論、の言いであるか、北原保雄氏のエッセイ、金田一氏が巻頭にあって、それに続く、「日本語」か、「国語」か、述べるところは、名称の意味内容である。国語調査会にみる、国語国字問題におよべば、さらにさかのぼって、国語とは何か、国字とは何かをとらえることになる。国語を国とだけする発想では、わかりにくい。また日本語の呼称は、日本だけを取り出すことができるかどうかである。日本の表記はヤマトについてすでに万葉集に見えるし、日本書紀、日本紀をどう読むかである。国語国字には和語和字が、日本には大和、和また倭が、それぞれにむかえる意味内容がある。
日本語か、国語か、これについて、ヤマト語と和らげの概念であることを思う。和語のとらえ方に漢語にいう外来語の和らげに用いられた,国字、国語がある。
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ぼけたことを書こうとして、1年前のリマインダーにさまざま、ぼけ日記の前哨戦である。退職して年金生活の傍ら、生活がリズムになっている。そのリズムはどんなものかと言えば、週3日の授業日であって、昨年のリズムから1日分減っている。だから、それだけ体力に見合うことになると勝手に思っていて、日に1万歩数を目指すとか、規則正しくしてとか、そういうことをしなくなった、こうして思えば、週に3日動けばいいというような、ずいぶんとぐうたらになってきた。1年目でこの様子だから、寿命にすれば、めぐりが予期せずやってくるような、終活を急がねばならないか。 . . . 本文を読む