番組特番、公開大捜索という、中途から、ながら見をしていた。ジョン・スミスと呼ばれる外国人が出てきて、その記憶が母語喪失によるものとして、「解離性遁走」と診断されている。番組中に身元がアメリカ人とわかるも、さらに、どうもどこかで見たような、areというbe動詞を、あれ、というふうにローマ字読みをすかさずするところがあったりで、顎のひげの生やし方が、ちょっとどうにも、と、大真面目に見てしまう。また一人は、神隠しにあった誘拐された少年の事件と、これはネットで追及している、真相はいかに。どちらの事件にも、事件と言っていいかわからないが、番組作りのストーリーを持っていることで、結果がわかってしまうような、35年ぶりに母親と対面したようなことが、事件の事実なのだと考えさせる。 . . . 本文を読む
日進にある欧風家庭料理の店で夕食をした。この店は馴染みで、昨夏は隣接地の工事で休業をしていたが、秋以降に、マスターとは長い休暇後の再会で、親しいかつての同僚と会食となった。なんでも本を寄贈して中国に送ったとかで、同じく停年を見てのことである。その後のようすで、店は変わらずに、おいしい料理を作っていた。いろいろと振り返って話をする。まだ話題が通じるかと思うものの、だんだんに自分が世間ずれをするのを感じる。お役目ごめんとは。こういうことか帰ってきた。、こうなるかと知る。楽しい時間を2時間半ほど過ごして、また友諠をともにすることを期して帰ってきた。思うに、大学教育の根幹に教養と知識の涵養があることはもちろんで、そこには、学校と社会をつなぐ高等教育機関としての役目がある。その結果に資格を持つ、学歴を得る、その証には何があったろうかとなる。卒業研究と言い、卒業制作と言い、そしてまた、卒業論文があったのであるから、そのいずれにも役目として、指導する役割りがあった。現場を離れてそこに遠きを思うが、現実には、その現場での現役にもその思いがあるらしい。大学が向かう先には? . . . 本文を読む