日本語の母音について 日本語は美しい言語だと言われる。何が美しいのか。耳にして聞こえて美しいというのである。それは母音の響きが声としてきこえるからであろう。メロディの音階を母音の響きで歌うことができる。その母音とは長くも短くもなる長さを持つが、日本語音節では短母音の長さをとらえている。どれくらいの長さかと、子音母音と組み合わせる音の長さを機械分析した研究者がいた。その長さは、子音か、母音か、どちらが長いものだったか。結果は子音であった。短母音はそれほどに短いのであるが、日本語発音で、あ段を言うときは、それほどに短い発音だとは意識しないだろう。 . . . 本文を読む
ブログ開設から3か月になろうとしています。おかげさまでまだオープンをしています。記事のジャンル、テーマがいまだに定まらず、タイトル通りのブログになっているかどうか、心もとない限りです。現代日本語百科を書き始めました。この情報につきものの記事の出典と典拠と言われるものをとくにもたずに書き起こしています。そのうち分量と内容を睨み合わせて必要があれば議論をしたいと思います。日本語発音5の記事についていうと、拡大50音図はふつうにある考え方ですが、サイトの中に拡張50音図を唱える方がやはり見えて、丁寧に書かれているのがあったりすると感心をいたします。フォトチャンネルに桜の写真を載せてみて、これなども、ほかによい写真を載せる方が多く見えて、まさに情報の百花繚乱という感がします。どうかこれからもよろしくお願い申します。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 781 常識に目を奪われて失敗する を、例題にしている。
コラムでは、目が奪われるのは 美しく華やかなものが人を夢中にさせる場合に使われるのが原則 と解説している。そのとおりであるが、夢中にさせるというところに注意がいる。常識は華やかでもないだろうというわけである。常識に夢中になることはない。しかし、この表現が意味するのはそれだけではない。華やかなものに目を奪われて、その結果は虜になることもあるからだ。説明にあるように、常識にとらわれる とは、囚われる のである。目を奪われるのは、また、とりこになることでもある。美しさ華やかさはその一つの例であって、ほかにも目を奪うものはある。なかでも、常識良識というように、常識の意味内容にも外してはならないものがあって、それに目を奪われていたばかりに、失敗するとなったのだろう。野球のセオリーとするものなどに、常識が働くと、それに目先のピンチやチャンスの状態に手が打てなくなるのは、目を奪われているからだと言える。 . . . 本文を読む