心塞がると百慮誤る
妄想を断ち切る
事を処するには
筆跡は心の現われ
言志録21~24を見る。筆跡の現われはパソコンでワープロをたたいているとどうだろう。この時代に生きるなら、このことばはどう応用するか。文章のことわり、筋になるかな・・
. . . 本文を読む
外来語音に影響を受けて
50音は一体いくつあるか。拡大する50音図を捉える。音節として日本語音声を表そうとするのでその範囲内で上げてみる。清音と濁音と半濁音そして拗音など表記が工夫されてから発音はされていたものの、どの程度書き加えて意識されていたかは明らかでない。その一方で日本語の発音は外来語音をうけいれる要因を持っていた。
というのは、現在使う50音図をカタカナで書いて学校教育用に普及したのは明治33年1990年のこと小学校令による。それにはヤ行のエを加える工夫があった。上の横棒が右下がりの斜めになるが使われていなかった。ワ行のヱとともに、それなりに音韻をうつそうとした。だから正しい50音図を書くとなるとヤ行のエは不要だがカタカナで47字を書き濁音の行などを書いた。外来語音を表記する工夫である。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 674 太陽の半径が求まる を、例題にしている。求まる という語がないと、コラムは解説する。集める 集まる などの自他の動詞の対についてみることになる。
金を集める、金が集まる、いずれも人為的な表現である。しかし、豆腐をを固める、豆腐が固まる、という場合では、人為的な操作の上に自然の現象としてとらえる。求まる のは数値計算の結果であるが、それを数式を立てて計算機に入れると言う操作をするとなると、自然に答えが求まるのであって、すくなくともいまの計算機は膨大な量の計算量をする、それはもう物理の世界でない場合も含めて太陽の半径を求めるにもそれなりの経過があって、法則と数式とに値を入れて、やはり求められる数値が求まるのである。
. . . 本文を読む
日本語の発声について
音声は肺からでる呼気を声帯で振動させて口で調える音であり、人間のコミュニケーションに使う音である。呼気は呼吸というように吐く音である。その発音は口腔また鼻腔を通して聞こえてくる。
声帯振動によって声は有声と無声に分けられる。母音はすべて有声音である。子音は有声と無声になる。無声音は声帯を振動させないということになるが、声帯は閉じたり開いたりするときの空気の通り道であるのでまったく閉じきることはない。
日本語の音声は音韻でいう音節になるとすると、わたしたちが聞く発声は常に母音を伴った発音を一つの音として聞いていることになる。母音だけの場合を含めて子音と母音の組み合わせで語末には必ず母音がある原則である。これを開音節構造という。 . . . 本文を読む