哲ノート

gentle heart!! ヤサシイココロ・オトナノココロ

再び「字」を書くという事

2013-05-17 22:45:50 | ちょっと気になる
電車の中で…。

自分  ノートとボールペン
隣の人 ガラケー
その隣 iPad タブレット

便利なのはど~れだ。

デジタルだろうか、アナログだろうか…。

でもアタマの思考回路からすると…どうだろうか。

従来からあるモノ書きの観点からすると、

アタマで考え思い浮かんだ事を、アタマが手や指先に命令を送って、ボールペンという道具を駆使してモノに書き留める。

デジタルに比べると、比べものにならないくらい複雑な流れではあるが、複雑になればなるほど「記憶」にとどめることができる。

デジタルは便利ではあるが、なんかその場限りの“冷たい思考”しか残らない。

アナログは“あたたかい思考”のまさに人間のなせる業なのだ。

最近小学校の授業のツールとして「タブレット端末」を導入しようという動きがあるという。

ゲーム感覚で、未来志向でそれは便利かもしれないけど、はたして人間の業、人間のアタマの進化過程としてはどうだろうか。

「便利」というコトバでオブラートされて、実はアタマの退化につながることにはならないか。

テレビ番組で「美文字」なんたらこんたらっていう番組が流されている。

それくらい“文字を書く”“書く習慣”“書くことによる効用”が危うい状態になりつつあることの表れではないか。

人の字を見る機会が多いが、目も当てられないような「字」に出くわすことがある。(自分の名前くらい、もうちょっと…ねぇ。)

生まれてからデジタルオンリーのこの世の中、あらためて「字」を書くという“人としての術”を、当たり前のように見直すことも必要なのではないか。

いらない危惧かもしれないけど、「指でボタンをポチポチ押す卓越した技」よりも「アタマと指を使って文字を考えながら書くという技」のほうが、

計り知れないほど「インテリジェンス」だと思います。
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