老郷(ラオシャン)をあとにして、「平塚」「銭湯」で検索ヒットした「富士の湯」さんへ…。
トコトコと平塚駅前の繁華街から西へ、住宅街が広がる所に富士の湯さんの赤い煙突が見えてきた。
「あった…こんなところに」
建物の周囲に工事車両が…、もしやと思ったら工事でお休みだって。
「せっかくここまで来たのに…」(とりあえずカメラでパチリと)
商店街・街中にあるというよりも、まさしく住宅街の中に埋もれた感じの「富士の湯」
むかし、むかしまだまだ「内風呂(家庭風呂)」が当たり前でなかった頃、
このような家庭的な雰囲気の銭湯があちらこちらにあって、
ご近所付き合いとか、大人と子供、親子の付き合いというものが、ごく自然に成り立っていたんですよね。
子供の“初めての社会参加”の場所であり、社会のルール・マナーを憶える場所であったわけです。
また大人も身近なご近所話のできる場所となり、銭湯は独特のコミュニティ(社交場)であったわけですよね。
いまの各家庭に風呂が当たり前のようにあって、「ひとりで入る」、自分だけですべてすまされるような密室の世界と化しているのとは対極にあるわけです。
平塚・富士の湯、残念ながらお休みでしたけど、住宅街の中にある光景から、昔を思い起こすこととなりました。
トコトコと平塚駅前の繁華街から西へ、住宅街が広がる所に富士の湯さんの赤い煙突が見えてきた。
「あった…こんなところに」
建物の周囲に工事車両が…、もしやと思ったら工事でお休みだって。
「せっかくここまで来たのに…」(とりあえずカメラでパチリと)
商店街・街中にあるというよりも、まさしく住宅街の中に埋もれた感じの「富士の湯」
むかし、むかしまだまだ「内風呂(家庭風呂)」が当たり前でなかった頃、
このような家庭的な雰囲気の銭湯があちらこちらにあって、
ご近所付き合いとか、大人と子供、親子の付き合いというものが、ごく自然に成り立っていたんですよね。
子供の“初めての社会参加”の場所であり、社会のルール・マナーを憶える場所であったわけです。
また大人も身近なご近所話のできる場所となり、銭湯は独特のコミュニティ(社交場)であったわけですよね。
いまの各家庭に風呂が当たり前のようにあって、「ひとりで入る」、自分だけですべてすまされるような密室の世界と化しているのとは対極にあるわけです。
平塚・富士の湯、残念ながらお休みでしたけど、住宅街の中にある光景から、昔を思い起こすこととなりました。