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令和元年度 千葉県遺族会女性部研修旅行に参加して (2-2)

2019年09月30日 01時19分30秒 | 遺族会関係の旅

          1.日    時  令和元年9月27日(金)~28日(土) 一泊二日         
               2.研修場所  新潟県 越後湯沢 「ホテル双葉」      

楠公レストハウス(昼食) → 首都高・外環・関越道 → 赤城高原SA【休) → 湯沢IC → 越後湯沢 ホテル双葉 到着へ

に恵まれました湯沢温泉までの長時間の車中に緑美しい山々を眺めながら県超えの度に山の名前の由来、山の特徴などを詳しく説明下さり思いを新たにしながら多くを学ぶ事ができました。
メモが間にあわずに以下はHPより復習させて頂きました。

先ず、群馬県の代表的な「赤城山」について
群馬県中東部にある二重式火山。最高峰は外輪山の黒檜山(くろびやま)で標高1828メートル。
中央火口丘の地蔵岳がある。妙義山榛名山とともに上毛(じょうもう)三山の一つ。
赤城山の北にある老神温泉の地名は、このとき落ち延びた神が追われてやってきたことに由来するといわれ「アカギ」という山名も神が流した血で赤く染まったことから「赤き」が転じたという説もある。 戦場ヶ原で負けた赤城山の神は老神温泉で傷を癒した後に男体山の神を追い返したという。

日光市 「戦場ヶ原の由来」(せんじょうがはらのゆらい)
昔、男体山の神と赤城山の神が、美しい中禅寺湖を自分の領土にしようと、大蛇と大ムカデに姿を変え、激しい争奪戦を繰りひろげた。
しかし、なかなか決着がつかない戦いに業を煮やした男体山の神は、弓の名人である自分の子孫・猿麻呂に大ムカデの目を射抜かせ、ついにこれを討ち負かした。
この戦いが繰りひろげられた広野原が、現在「戦場ヶ原」なのだと伝えられている。

「谷川岳」(たにがわだけ)について
谷川岳というのは、群馬県と新潟県の県境にある山で、トマノ耳(1,963m)とオキノ耳(1,977m)という二つの頂上があります(双耳峰)。
初心者から上級者まで楽しめるルートがあり、標高2,000メートル足らずとは思えない景観が人気を呼んでいます。
しかしエベレストより危険な山?!とも。
統計の始まった1931年(昭和6年)からギネスに認定された2005年(平成17年)までに、なんと781名の死者が出ているということなんです。
これは、エベレストなどを含む「8000メートル峰」(地球上にある8,000メートル越えの14の山)の死者数を合計したものより多い数です。
原因としては、複雑な地形や切り立った岩壁、そして激しい天候の変化などが挙げられ、2,000メートルに満たない標高ながら“魔の山”“死の山”などと呼ばれ恐れられています。

以上、記録はほんの一部ですが、改めて学ぶことができました。
に恵まれ、美しい山々を眺めながら長いトンネルを超え、研修場所 越後湯沢  水が織りなす越後の宿 「ホテル双葉」 到着


               「ホテル双葉」全景                              思い出のサインを頂きました

温泉街の高台に位置し、水が織りなす越後の宿をテーマにした和風旅館です。料理は新鮮な物・旬の物を素材として四季毎に献立を替えて郷土料理をお楽しみいただけます。

 
          二次会においては歌手?が次々に登場しました                 郷土料理に舌鼓を打ちながら1年ぶりの会話も弾みました

二日目 9月26日(土)  湿度

ホテル9時スタート → 錦鯉ランドにて錦鯉鑑賞・お買い物

 
               2日目、まずは「錦鯉鑑賞」に湯沢錦鯉ランドへ                   泳ぐ宝石・錦鯉の発祥地は山古志でしたと

 錦鯉って何
日本を代表する魚・錦鯉。金色の鯉、紅白の鯉。 様々な体色をした鯉たちは、私たちを魅了します。
鮮やかな色彩と優雅に泳ぐ姿は、あるで「宝魚が舞い踊っているよう」とも言われる美しさです。
日本で生まれ育った人ならば、錦鯉を見たことがない人を探すほうが大変というくらい、おなじみの魚ではないでしょうか?
そんな錦鯉ですが、実は池や川などにでもいる鯉とまったく同じ淡水魚であるということは、知らない人も多いかもしれません。
実はあの真っ黒な鯉から、遺伝子変異によって偶然誕生したのが、色鮮やかな錦鯉なのです。

 

錦鯉鑑賞から → 鈴木牧之記念館見学 → 塩沢宿 牧之通り散策 へ

 
                 鈴木牧之記念館                           近隣の小学生の皆様が見学を済ませて

 
                鈴木牧之記念館・入館料                           鈴木牧之記念館案内表示の文字が隠れました 

【鈴木牧之記念館】 (HPより)
鈴木牧之は明和7年(1770)塩沢の商家に生まれ、勤勉に家業を励む商売人でした。父親の影響で、俳諧、書画、文筆も行い、世に出る名著『北越雪譜』をのこしました。
『北越雪譜』は、40年という歳月をかけ雪国の暮らしを伝えるために、越後の雪や風俗をつづって著され、発売後は江戸でベストセラーとなるほど大評判となった書物です。

館内には『北越雪譜』の初版本をはじめ、牧之の遺墨や牧之が京伝や馬琴、一九など一流の江戸の文人と交流したことを物語る資料も展示されています。
また、牧之のもう一つの代表作・秋山郷を紹介した「秋山記行」のコーナーも人気です。
他に、ユネスコ無形文化遺産に登録された越後上布の製作工程の道具展示や、雪崩博士などの雪に関連する展示もあり、雪国越後を楽しんでいただけます。
鈴木牧之記念館の遺墨品は『北越雪譜』の出版までの江戸の文人とのやり取りが分かる書簡集など県指定文化財が5種、市指定文化財が35種と市内の文化財では多く指定され、牧之資料の貴重さが
伺えます。

【江戸の人たちに「雪国」を紹介した鈴木牧之】
鈴木牧之は1770年に越後塩沢の地、縮(ちぢみ)の仲買と質屋を営む鈴木屋の子として生を受けます。
牧之は幼い頃より商売を学ぶかたわら、父・牧水の影響もあり俳諧や書画もたしなむ人物でした。
そんな彼に転機が訪れたのが牧之19歳の時、縮の行商で訪れた江戸でのことでした。
雪深い越後の国と異なり、暖かな気候のもとに暮らす江戸の人々。
彼らに雪国のことを話すと、まるで異国の話であるかのように全く理解してもらえません。
そこで牧之は、雪深い地域での生活文化を広く多くの人々に知ってもらいたいと思い、長い歳月と文人らの協力を経て、苦労の末に『北越雪譜』を世に出したのでした。  



【三国街道塩沢宿「牧之通り」の概要】
三国街道塩沢宿「牧之通り(ぼくしどおり)」は、全国有数の豪雪地である南魚沼市塩沢地区にある美しいまちなみの通りです。
「雪国の歴史と文化を活かすまちづくり」というコンセプトに創られたこの美しいまちなみとそのまちづくりは、これまで多くの賞を受賞しました。

 
                          歩道の新設や電線類の地中化、雁木造りの再現の美しい街並み

 
             雁木造り                                鈴木牧之記念館は後方 ↑ の表示

【街路整備とまちづくり】
街路事業(道路改良)を機に、伝統的な雪国建築を生かしたまちなみ形成をめざし、建築物の外観・意匠の統一、色彩制限、さらには2メートルのセットバック空間に雁木を設置するなど、
独自の建築協定を設け、雪国特有のまちなみとその魅力を復元しました。
こうした地域住民によるまちづくりと合わせ、街路事業では、歩道の新設や電線類の地中化などにより、安全・安心な歩行者空間の整備を行いました。

塩沢宿 牧之通り散策 → 塩沢石打IC 関越道 → 渋川伊香保IC → 昼食 (美味しいうどんを頂きました) → は一路千葉へ

伊香保までの車窓から眺めた越後平野の秋風景
 

 

 

 

 
                     美味しい水を頂いて は一路千葉へ向かって走り続け、車内は静かにお休みモードでした 

千葉県遺族会事務局の皆様、お世話になりました。
又、県下各地の女性部の皆様、親しく、有意義な研修会にご一緒できました事に感謝を申し上げます。
又、来年元気でお会い致しましょう。
皆様の益々のご活躍とご健勝をお祈り申し上げます。

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4 コメント

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Unknown (matsubara)
2019-09-30 08:00:28
収穫の多い旅行をされましたね。
鈴木牧之のことを知りませんでしたので
学ばせていただきました。

何年か前、直江兼続の遺跡をたどり老人会で
旅行をしましたとき、谷川岳をガイドが教えて
くれましたので、窓から仰ぎました。
返信する
matsubaraさま (oko)
2019-09-30 11:55:38
お言葉をありがとうございます。
1日目はお天気に恵まれ、丁寧な説明に美しい山々を眺めることができました。
2日目は残念ながら緑の山々は霧に覆われてしまいました。

鈴木牧之記念館は自由行動でした。
今後、訪れることはできないと思いましたので千葉市3名の方と見学致しました。

牧之通りの散策は、雁木造りの再現、歩道の新設や電線類の地中化などにとても美しい街並みでした。
返信する
親睦旅行 (徳さん)
2019-10-01 09:34:47
なかなか有意義な旅行でしたね。学ぶことも多く私も勉強になりました。大人数の旅でしたね。写真をゆっくり拝見しました。
返信する
徳さんさま (oko)
2019-10-01 12:56:09
お言葉をありがとうございます。
ほとんどの方が遺児ですので、杖を用いる方、腰の曲がる方が多くなりました。
明日は我が身と健康の大切さを考えさせられました。

初めて鈴木牧之について学ぶことができました。
牧之通りの散策も記憶に残りました旅となりました。
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