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終戦80年及び事業実施35周年記念洋上慰霊に参加 12-12

2025年07月01日 06時00分00秒 | 洋上慰霊

                                   終戦80年及び事業実施35周年記念洋上慰霊に参加 12-12            

                                             令和7年6月11日(水)

               
                    お世話になりました「にっぽん丸」 (友人から頂きました)             船長様にお書き頂きました大切な です
                                                                              船内でコピーをして千葉県の皆様にお渡しして最高の  と喜んで頂ました。

      
                                       6月11日(水)09:00頃 神戸港に帰ってまいりました右前方にホテルオークラを臨む

                              
                                           「最後の洋上慰霊」鎮魂の旅を終えて神戸港に帰港しました

                                   
                                                上記の写真はネットより頂きました
                               戦後80年で終了する日本遺族会主催の「洋上慰霊」の「にっぽん丸」が6月11日(水)神戸港に帰港しました。
                                    11日間の船旅で台湾海峡やフィリピン沖を巡り、洋上で計9回の船上慰霊祭を行いました。
                                          全国から216人の遺族らが海に眠る戦没者らに祈りを捧げました。
                                     「にっぽん丸」は6月1日(日)に神戸港を出港し、戦艦大和や武蔵の沈没海域も航行。
                   戦争の実相を語り継ぐ「語り部研修」も行われ、6月6日(金)のフィリピン・マニラへの寄港時は、船内で現地の子どもたちや政府関係者たちとの交流も行いました。

                 終戦から80年を迎え、戦後も遠くなりました。しかし、過去の事実は事実として再び悲惨な過ちを繰り返すことが無き事を祈り、未熟ですが記録とさせて頂きました。
                                     毎日お訪ねいただきました多くの皆様方に心から御礼を申し上げます。有り難うございました。

                                 
                                                     「以下は14年前の第一回の洋上慰霊に思いを致しました」

                                    第一回洋上慰霊祭に奇跡的にお会いしました「鳥海」田中艦長のご子息 田中 暁様(98歳)に報告いたしたく綴りました。
                ご子息様は現在、佐世保市にお住まいです。田中様は「もう参加はできませんのであなたが代表して「鳥海」の戦没者にお参りをしてきてください。」とお言葉を頂いております。
                                          
                                          田中艦長様ご指導のもと父が通信長として乗船しました「鳥海」です

                                                                     
                                            「鳥海」は昭和19年10月25日敵艦隊と交戦中、敵艦の砲弾が命中し、航行不能となった。
                                        警戒に当たっていた「藤波」が鳥海の乗員を収容の後魚雷を発射し鳥海は沈没した。
                                 「藤波」は鳥海乗員を収容し、主隊と分かれ別行動中10月27日敵航空機の大編隊と遭遇、善戦健闘したが、
                                      被弾により火災を誘発しついに戦没し、僚艦が捜索したが1名の乗員も発見されなかった。 

                         

                                          慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して
          
                                    
日  程 2011年(平成23年)3月5日 ~ 16日 (11泊12日)
                              
参加者 44都道府県から 363名 (内千葉県参加者14名)

                  上記、初めての「洋上慰霊」に参加しましてから14年の月日が過ぎましたが、その時の「鳥海」戦死者960名中の参加者は田中艦長様のご子息様と私の2名でした。
                   ご子息様が千葉県の私をお訪ね頂き「艦長の息子田中です。」とご挨拶を頂きましたあの瞬間は生涯忘れることができませんほどに感激いたしました。
                    「追悼のことば」を奉読にあたりお言葉の中に「「鳥海」 乗艦960名の皆様と運命を共にされたお父さんはどんなにか無念だった事でしょう。
                       お父さん今朝、感激の出会いを頂きました。「鳥海」 田中艦長様のご子息様にお言葉を頂き、今ここに同席させていただいております。
                                 娘が喜んでおりますと艦長様にご挨拶をしてくださいね。」と添えさせて頂きました。

 
                       
                         追悼式を前に「鳥海」田中艦長様のご子息様と父の好物を供えて   千葉県代表「追悼のことば」 を奉読中に大震災発生3・11を夕刻に知る

                      

                          3月11日 (金) 「東日本大地震発生」 については 「サマール島北方洋上慰霊祭」 が終了後に艦内放送により知る事となりました。
                         夕刻5時頃より船も大分揺れはじめ、廊下を歩くことがとても困難だったことが思い出されます。海上では、電話、携帯、テレビ 全て不可。
            被災地の皆様の連絡には特別の配慮があったようですが、私たちはラジオから聞こえるアナウンサーの声に耳を傾け、事の重大さに誰もが心配、不安でしたが被災地とされる皆様はボードに
                        貼られた被災状況に泣き崩れるお方もいらっしゃいました。私達はただただご東北地方のご家族の皆様のご無事をお祈り申し上げておりました。

              
                                                         ボードにはられた記事の一部より                            

コメント (9)
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