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平成21年 3月度 南房総の旅

2009年03月18日 08時58分58秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

             千葉実年大学校 歴史倶楽部 平成21年 3月度定例会
    
3月定例会は、春爛漫の南房総を訪ねます!        
青い海、潮の香り、波の音、ストック ・ キンセンカ ・ ポピー等が皆様をお待ちしています!       
房総半島の南端、館山市及び南房総市で歴史に触れる旅です。
南房総は奈良時代から始まる歴史の地です。
「安房国札観音霊場」 では、12年に一度の 「丑年本開帳」 が3月10日から4月10日まで開催されます。 
この度、訪ねます 崖の観音 (大福寺) ・ 那古観音 (那古寺) ・ 石堂寺の三つの寺院 で見ることが出来ます。   
    
上記のご案内に、今年初めて参加を致しました。
お天気に恵まれました一日、大勢の皆様と 「南房総の旅」 を満喫致しました。
 1.開催日 平成21年3月17日 (火) 久々の  日中の気温は20度にも 
 2.参加者 72名     
 3.集  合 千葉NTT前 7時30分
 4.見学先
(1)崖の観音 (大福寺) 館山市指定有形文化財
 館山市の北方、船形山の山腹の断崖絶壁に漁民の安全と大漁を祈願する為に養老元年に行基が開いたとされています。
 
丹朱に塗られ、遠くからも望見できます。
 県内最古といわれる十一面観音の磨崖仏(岩肌を彫って作った仏像。高さ1.5m)が祀られています。

               往復30分程を要して全員が崖観音に参拝、朝一番の元気な皆様 
(2)那古観音 (那古寺)
 717年(養老元)に僧行基が創建したと伝えられる坂東三十三霊場の結願寺[けちがんじ]。
 源頼朝や里見氏など、武家の信仰を集めてきた。
 平安時代後期の阿弥陀如来坐像 (県文) を祀る阿弥陀如堂。
 宝暦11年(1761)建立の多宝塔、本堂などが並ぶ。
 本堂外陣安置の銅造千手観音坐像は鎌倉時代の作で 国指定重要文化財
               
    ご開帳の那古観音 (那古寺)            御朱印                多宝塔

(3)館山城址 (八犬伝博物館)
  戦国大名として安房国10代170年間を支配した 里見氏 の居城 「館山城址」
 (城山公園) には博物館本館及び分館 (八犬伝博物館) があります。
        
     入場券兼パンフレット                   館山城址

(4)安房神社
 安房神社の創始は、今から2660年以上も前に遡り、神武天皇が初代の天皇として御即位された紀元年(西暦紀元前660年)と伝えられています。
 平安時代の法典 『延喜式』 の 「神名帳」 に記載された式内社 (しきないしゃ) であると共に、特に霊験著しい名神大社 (みょうじんたいしゃ) でもあった
 当社は
国家から手厚い祭祀を受けておりましたが、同時に 『安房国一之宮』 として広く一般庶民から崇敬も集めておりました。
  「一之宮」 とは、諸国の国内で第一位の地位を示した神社を指すものであると言う。


                                           桜が美しく咲き始めた安房神社参拝
※ 白浜お花畑で小休止
 年が明けた頃から、白浜のそこかしこを春の花々が彩っていきます。
 あたたかな陽光と元気な大地が、きれいな花を育んでいます。
 温暖な南房総。白浜もその天の恵みを生かした農業が元気です。
 白浜の農地はおおよそ280ha。その7割が花の栽培です。
 早春の露地にキンセンカ、ストック、キンギョソウなど色鮮やかな花が咲きみだれます。

     
(5)高家 (たかべ) 神社        
 『日本書紀』によると、第十二代景行天皇が皇子・日本武尊の平定した東国巡視のおり、安房の浮島の行宮を定め、覚賀鳥(カモメの事)の声を聞こうと、舟遊び。その時、侍臣の磐鹿六雁命が、
 白蛤と鰹を膾にして献上。

 天皇が感激して、磐鹿六雁命を膳大伴部として、子孫を高橋氏として大膳職に任じたという。
 
この功により若狭の国、安房の国の長と定められ、以後代々子孫は膳の職を継ぎ、もし世継ぎの無いときは、天皇の皇子を継がせ、他の氏を交えず、皇室の食事を司るよう賜った。
 また、大いなる瓶(かめ=べ)に例え、高倍さまとして宮中醤院で醤油醸造・調味料の神として祀られています。

 
      

(6)石堂寺
 726年、聖武天皇の勅願を受けた行基上人が開山、阿育王塔の縁由奏問により石堂寺と称す。
 日本三石塔寺の一つに数えられるこの寺はその後、天台座主慈覚大師円仁が七釈迦藍を造営し天台宗となり、偉容を天下に誇ったといわれてい る。
 近江(滋賀県)の阿育王山、上州(群馬県)の白雲山と併せ「日本三石塔寺」に数えられています。
 ちなみに「石堂」とは、秘宝の小さな仏舎利宝塔のことを指します。
 1486年火災によって焼失し、再建に努力すること50年、ほぼ現在の姿になった。
 桜の季節はことに美しい。多宝塔は県指定有形文化財で銅版瓦棒葺きの屋根や精巧な彫刻など和様を主体に禅様をいれた折衷様式であり那古寺の多宝塔と共に関東地方では貴重な物とされている。
 現存する大半の建築物は室町時代のものです。
 室町時代末期、当寺で養育された 足利頼氏の幼名 石堂丸 に因み 「石塔寺」 を 「石堂寺」 に改めたと言われています。
    

会長様をはじめ役員の皆様のご尽力に御礼を申し上げます。
初めて見る、聞くの貴重な経験をさせて頂きました事にも心から感謝を申し上げます。

コメント (8)
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