牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

請求書の祈りか、領収書の祈りか

2011-11-10 08:13:28 | Weblog
今朝のチャペルで神学生がメッセージしました。

 ある本を読んで話し始め、請求書の祈りと領収書に祈りがありますとのこと。あれ?同じ様に考えている著者があるのだなと思った。

 その本はこれですと取り出したのは、「わずか30秒の祈りが世界を変える!」で、院長の本で教えられましたと、高額のパソコンを求める祈りを続けていたそうです。

 その祈りはまるで請求書の祈りのようでした。本を読んで請求書の祈りではなく、領収書のの祈りを知り、ありがとうございます。新しいパソコンが与えられました!感謝しますと祈りを変えました。

 するとしばらくして友人から、手持ちのお金で良いからパソコンを売ってあげると電話が入りました。

 買えるようなお金もなく、ともかく会いに行きました。そうすると何と欲しかった新型のパソコンがプレゼントされました。驚き喜びつつ、神学生の道を邁進しているという体験を通して、領収書の祈りはスゴイ!という証でした。

 聖書には、イエス・キリストのことばがたくさん書かれています。

 「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます」(マタイ7:7)

 「 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。
 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう」(ヨハネ14:13-14)

 「もあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます」(ヨハネ15:7)

 イエス・キリストの約束は真実です。ある意味ではクリスチャンンは、自由に使える制限なしカードを提供されているようなものです。

 貪欲や悪い動機でない限り、神の栄光のために用いる時、考えられないような恵みを与えられる、無償の祝福なのです。

 だから誠実に本音でアーメンとお願いするとき、必ず答えが与えられます。思った通りでなくても願いをはるかに越えた神のみこころにかなう答えが用意されているのです。

 ですから答えを感謝して領収書(ありがとうございます。答えられました。感謝します)の祈りを確信を持ってささげることができるのです。

「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです」(ヨハネの第一の手紙5:15-16)


ヨハネの第三の手紙

1:2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。