牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

ミケランジェロのダビデ像

2011-11-14 05:53:09 | Weblog
 生駒聖書学院は毎週月曜日午前8時よりスタートです。スカッとした気持ちで元気に朝のチャペルが始まります。

今朝のチャペルメッセージは、ダビデについて語ります。

使徒の働き13:22 それから、彼を退けて、ダビデを立てて王とされましたが、このダビデについてあかしして、こう言われました。『わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する。』

 「彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する」すごいですね。神様の思いをそのまま実行したダビデに感動します。

 ダビデ(David)像は、ミケランジェロが1501年から制作を開始し、1504年9月8日に公開した彫刻作品である。
 ピエタと並ぶミケランジェロの代表作であるばかりでなく、ルネサンス期を通じて最も卓越した作品の一つである。

 力強さと若き人間の美しさの象徴ともみなされる作品であり、芸術の歴史における最も有名な作品のひとつと言える。

 大理石で身の丈5.17メートルにかたどられたこの像は、旧約聖書の登場人物ダビデが巨人ゴリアテとの戦いに臨み、岩石を投げつけようと狙いを定めている場面を表現している。

 元来はフィレンツェ市庁舎の置かれたヴェッキオ宮殿の前に飾られていたことなどもあり、のちに都市国家フィレンツェ共和国が周囲を取り囲む強大な対抗勢力に脅かされるようになったときには、巨人に立ち向かうこの像こそフィレンツェを象徴するものだという解釈がなされるようになった。(ウィキペディア)

 ダビデほど波乱万丈の人生を生きた人物はないと思うほどの生涯した。羊飼いの少年でしたが、神に選ばれてイスラエルの王となり、イスラエル黄金時代の偉大な王です。

 特にミケランジェロのダビデ像は、3メートルもあるような巨人ゴリアテとの戦いで、石投げ器のわずか一つの小石で勝利した場面です。

その後、様々な戦いや試練困難を乗り越えて、真実に誠実な歩みを続け、神のみこころを実行しました。

 みこころにかなう生涯を過ごせたのは、神の選びの器でした。サムエル記上16:7 しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」

 また油を注がれたのは、聖霊に満たされる象徴であり、神の霊に満たされ続けて生涯でした。

 ゴリアテとの闘いでダビデの神への全幅の信頼を見ます。ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。」

 人生に問題や試練はあります。しかし神への信頼は豊かな勝利と恵みをもたらします。ダビデの詩篇を読むたびにいつも勇気を与えられます。

 新約の恵みに生きる私たちは、イエス・キリストの十字架と復活により、聖霊に満たされ続ける祝福を与えられています。何と言う幸いなことでしょう。
神の子とされ、いつも聖霊によって注がれ続ける愛に満たされ、今日もまた天国の一日です!感謝します。

詩篇

16:1 神よ。私をお守りください。私は、あなたに身を避けます。

16:2 私は、主に申し上げました。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」

16:3 地にある聖徒たちには威厳があり、私の喜びはすべて、彼らの中にあります。

16:4 ほかの神へ走った者の痛みは増し加わりましょう。私は、彼らの注ぐ血の酒を注がず、その名を口に唱えません。

16:5 主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。

16:6 測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。

16:7 私は助言を下さった主をほめたたえる。まことに、夜になると、私の心が私に教える。

16:8 私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。

16:9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。

16:10 まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。

16:11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。