牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

天に宝を

2017-06-27 18:14:19 | Weblog
マタイの福音書6:19-21 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
長く使えるものを買うのが生活の知恵。イエス・キリストは、虫が食うものや、さびできず物にならないもの、盗まれるようなもの、このような快楽と財産を求めるなと教えた。
着る物はいつか古びたり、やがては傷んでいく。単なる肉体的な快楽は、次第に色あせ、楽しむたびに喜びが減少する。そのような快楽に支配されないように。
時が立って喜びが薄れていくものに執着しないように。盗まれるもの=物質には永遠性はない。物質的なものを宝にすれば、やがて必ず失望し、平安も幸せも奪われてしまう。
自分の宝は、天にたくわえなさい。地上で行う親切や善行は、天に宝を積むことです。自分のために積んだ宝は失われるが、喜んで与えた宝は天に貯えられる。
また、品性がその宝です。この世から去るとき、持って行けるものは、その人の品性だけです。ペテロの第二の手紙1::5-7 こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。
あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるのは真理です。心に思うことがすべてこの世のことなら、永遠について何の興味も持たない。宝がすべて地上にあれば、必ず来る死を迎える時、不安と悲しみや辛さに中を、地上に残された宝を惜しみつつ、後ろ髪を引かれる思いで、地獄への道へ向かいます。
この世に価値がないとは、聖書は教えていません。しかし、この世は人生の目的ではなく、目的地への行程です。この世とこの世のものに心を奪われず、天国を思いつつ、神の国と神の義を求めつつ、愛に生きた者は、その時が来たら喜んでこの世を去ります。神のもとに行く時が来たからです。
このようにいつまでも存続する者は、信仰と希望と愛です。その中でもっとも大いなるものは愛です。
日本人はその愛に生きる民族です。最初に覚えるのは、愛=あいうえおです。しかも、愛が上=あいうえです。その愛は十字架上に現されています。今こそ日本人すべてが、その愛を知り、愛を上に置く国になるときです。
ヨハネの第一の手紙4:7-9 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子=イエス・キリストを世に遣わし、その方=イエス・キリストによって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

ありがとうございます。今日もまた豊かな愛の天国の一日です。感謝します。

豊かに生きる

2017-06-27 18:10:26 | Weblog
マタイの福音書6:24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
この聖書のことばは、所有物が生活の領域に占めることへの警告です。イエス・キリストは、富と所有物について、第一に、すべてのものは神に属していると教えた。地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。(詩篇24:1)
森のすべての獣は、わたしのもの、千の丘の家畜らも。わたしは、山の鳥も残らず知っている。野に群がるものもわたしのものだ。わたしはたとい飢えても、あなたに告げない。世界とそれに満ちるものはわたしのものだから。(詩篇50:10-12)
この基本を理解すると、すべての物質的=富、時間、知恵、知識、肉体、所有物について、これは神様のものだから、神様の栄光のためにと考える。そこにクリスチャン生活の醍醐味がある。
だから、常に人間が物品よりも重要であり、人のいのちは、は全世界より尊い存在です。財産をつくり、金を貯め、富を増やすために、人間が物品として利用されるなら、そのような富は罪悪です。
どんな方法でその財産があり、作られたかによって、富裕者の人生が問われます。
しかし、聖書は富は結果的な善であり、イエス・キリストが来られたのも豊かさを与えるためと宣言しています。あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。(コリント第二8:8)富や金銭、物質を所有することは、罪ではなくて厳粛な責任です。クリスチャンは、すべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、愛にも富み豊かにされて、名誉ある独立を保ち、家族を養い育て、助けの必要な働きのため、恵みのわざにも富む人生を生きることができます。
快楽に快楽、贅沢に贅沢を重ねるだけに、富を求め続け、富にのみ生きがいを感じたり、金があれば何でも買え、何事でも解決できると思うなら、金銭を愛することがすべての悪の根になります。
そんな悪の根を刈と取り、神の栄光のために、繁栄する人生を今年の後半も力強く生きる人生です。
神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。(コリント第二8:9)
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。