牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

愛に生きる

2017-06-20 18:07:39 | Weblog
マタイの福音書5:17-9 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。
まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。
律法と福音。律法とは何か。第一に十戒。第二に聖書の最初の5巻=創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記。第三に律法と預言者=旧約聖書39巻。第四に口伝=律法学者律法規定。
イエス様は、律法全体の原則、真髄を示されました。十戒の原則は、尊敬であり畏敬です。その神髄は愛です。尊敬することは、無数の細かな法則や規定で縛り、禁止することではなく尊敬し愛すれば良いだけです。
イエス・キリストは、「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」と質問され、「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 これがたいせつな第一の戒めです。「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。律法の神髄を教えました。
律法の要求を成就しようとすると、人間の能力には限界があり、、愛にはさらに高い動機と行動が必要です。
イエス・キリストは、罪は犯さず、その口に何の偽りなく、律法を守り完成し、十字架にいのちを捧げる愛で、律法の要求を成就しました。3日目の朝に復活し、信じるだけで救われる恵みの救いを実現しました。その救いを体験すると、神を愛し自由に生きる贅沢な恵みの人生になります。
十字架にいのちを捨ててまで愛され、聖霊により注がれている愛を日々経験する時、その愛に答えたいとのひたむきな願いを持ちます。この神への愛が、高尚で崇高な使命になり、責任ある人生を神と隣人に対して果たすことができるのです。イエス・キリストは、いついかなる時も共にいて、助け守り力を与えてくださいます。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

健全な教え

2017-06-20 18:04:05 | Weblog
テトスへの手紙1:7-16 監督=牧師は、神の家の管理者として、非難されるところのない者であるべきです。わがままでなく、短気でなく、酒飲みでなく、けんか好きでなく、不正な利を求めず、かえって、旅人をよくもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、敬虔で、自制心があり、教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。それは健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを正したりすることができるためです。
実は、反抗的な者、空論に走る者、人を惑わす者が多くいます。特に、割礼を受けた人々がそうです。
彼らの口を封じなければいけません。彼らは、不正な利を得るために、教えてはいけないことを教え、家々を破壊しています。
彼らと同国人であるひとりの預言者がこう言いました。「クレテ人は昔からのうそつき、悪いけだもの、なまけ者の食いしんぼう。」
この証言はほんとうなのです。ですから、きびしく戒めて、人々の信仰を健全にし、ユダヤ人の空想話や、真理から離れた人々の戒めには心を寄せないようにさせなさい。
きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。
彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。
2:1 しかし、あなたは健全な教えにふさわしいことを話しなさい。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

目当てに向って

2017-06-20 05:13:16 | Weblog
今を基準にして目標に向え

私は、自分がすでにすべてを成し遂げ、目標に到達してしまったなどとは考えていない。
ただ私は、一つのことに全力を注いでいる。
それは、良いことも悪いことも含めて過去を忘れ、前にある者に向ってひたむきに前進し、ついにゴールに到達したときに、神から与える栄冠を目指して努力し、一心に走っているのだ。
あなたが成熟した大人なら、これと同じ考え方をしなさい。
そして大事なのは、すでに到達した所よりも、前に戻らないようにすることだ。
常に、今ある場所を基準にし、そこから前に進んでいくべきなのだ。

ピリピ人への手紙3:13-16 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。
ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。
それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。