牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

豊かに生きる

2017-06-27 18:10:26 | Weblog
マタイの福音書6:24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
この聖書のことばは、所有物が生活の領域に占めることへの警告です。イエス・キリストは、富と所有物について、第一に、すべてのものは神に属していると教えた。地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。(詩篇24:1)
森のすべての獣は、わたしのもの、千の丘の家畜らも。わたしは、山の鳥も残らず知っている。野に群がるものもわたしのものだ。わたしはたとい飢えても、あなたに告げない。世界とそれに満ちるものはわたしのものだから。(詩篇50:10-12)
この基本を理解すると、すべての物質的=富、時間、知恵、知識、肉体、所有物について、これは神様のものだから、神様の栄光のためにと考える。そこにクリスチャン生活の醍醐味がある。
だから、常に人間が物品よりも重要であり、人のいのちは、は全世界より尊い存在です。財産をつくり、金を貯め、富を増やすために、人間が物品として利用されるなら、そのような富は罪悪です。
どんな方法でその財産があり、作られたかによって、富裕者の人生が問われます。
しかし、聖書は富は結果的な善であり、イエス・キリストが来られたのも豊かさを与えるためと宣言しています。あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。(コリント第二8:8)富や金銭、物質を所有することは、罪ではなくて厳粛な責任です。クリスチャンは、すべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、愛にも富み豊かにされて、名誉ある独立を保ち、家族を養い育て、助けの必要な働きのため、恵みのわざにも富む人生を生きることができます。
快楽に快楽、贅沢に贅沢を重ねるだけに、富を求め続け、富にのみ生きがいを感じたり、金があれば何でも買え、何事でも解決できると思うなら、金銭を愛することがすべての悪の根になります。
そんな悪の根を刈と取り、神の栄光のために、繁栄する人生を今年の後半も力強く生きる人生です。
神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。(コリント第二8:9)
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

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