牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

患難さえも喜びに

2017-03-07 21:02:55 | Weblog
ローマ人への手紙5:1-8 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。

またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。

そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。


高貴に生きる

2017-03-07 05:33:00 | Weblog
信じる道を生きよ

人は何かをする前に、何者かでなければならない。
なぜなら、人は自分の信じたとおりにしか生きられないからだ。
自分を価値ある存在であると信じる者は、価値あることを計画し、その行動もそれにふさわしいものになる。
人の人生は内面を映す鏡なのだ。

イザヤ書32:8 しかし、高貴な人は高貴なことを計画し、高貴なことを、いつもする。
高貴な人は高貴なことをはかり/高貴なこと擁護する。