狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

入院の記

2006-12-06 21:27:51 | 社会欺評
これは、11月21日で中断した「続々古い日記から」の続篇である。

「お早ようございます。随分早いんですね」
「眠れないから、ここでタバコをすっている所だ」この人はお金持ちの人相だと思ったら、昨日同室のKさんが言う農協の組合長だった。
朝飯を済ませドアが開けっ放しの七千円の部屋を覗いたら、応接室のように豪華に見えた。何でもその隣りは、1万円の部屋で、風呂まで付いているのとの話である。

十一月二十四日
日曜日なり。朝次男K次、妹のT子と一緒に来る。楚人冠全集5巻を持ってきてくれる。
隣村々長著作「村長室随想」を読んでいて点滴を断らしてしまい、それが気になって3時半ごろまで何も手につかず。Iさんという看護婦さんが来て伴創膏を貼りなおしてくれ漸く落ち着く。〝一攫万銀の奇策を、欲の深い世間の人々に打ち明けたい〟。ナイショ。

十一月二十五日月曜日。
寒い朝なり。病室の廊下の突き当たりは東側に面していて、朝焼けの空見事なり。背中中痒し。看護婦のIさん膏薬を持ってきてくれる。何かと態度親切なり。
Dr.K診。はじめ今日の内視鏡はなかるべしと言えしが、また戻ってきて今日やると言う。しからば食事は如何と問えば、何とかの検査もキャンセル待ちになっているので、食べない方が良いという。
採血に別の看護婦さんが来たが俺の血管は細くて採血出来ず、また来ると言って帰ってしまう。Iさんは上手なのだが。
内視鏡は10時過ぎなり。3回目なり。どうも俺は他の人に比べ拒否反応が大きいらし。

1時間ぐらいは、飲んでも喰ってもいけないとの厳命。十二時の昼食は大丈夫かなとひとりで時間を勘定する。
午前廊下から田圃を見たり。三十日にある句会は、「冬田」という兼題なので同室のKさんにそのことを話したら、良い題だといって1句認めてくれた。
向こう州のからりと見ゆる冬田かな   栞木
丸大ハムの搭威張りをり冬田晴れ    谷人
O氏と旧海軍の飛行機の話になり話が弾む。K氏もこちらの話につられて陸軍の飛行機をするのだが、陸軍の飛行機は総じてダサイ感じだと3人の飛行機談義は談笑のまま暫く続いた。

Dr.来室。病状説明。出血の方は殆ど良くなったが、食道側にある血痕がどうしてあるのか、稀に肝臓から来る事もあるので検査して更に血管造影をやろうと思ったんだが、その必要もなさそうなので、貧血がもう少し改善すれば退院しても良いとのご宣託である。
貧血 (入院時)7.5   (現在)8.0  10になるまで待ちたい。

十一月二十六日
12時半と3時前目を覚ます。3時の時点滴の針の部分が腫れて膨らんでいたので、看護婦室に行って診てもらったら、漏れているので外しておいて明日にしましょうという。
明け方痒くて身体を何回も拭く。頭も洗う。
朝Dr.が廻って来て、痒いのは点滴の中に入っている何とかの薬のせいかも知れないので、点滴を止め飲み薬にするという。
点滴を止めた途端に痒さが直ったような気分になった。Dr.皮膚科で診てもらうよう指示がある。点滴を外したので、外来の方まで遊びに行った。Dr.Kは廊下などで出会っても、向こうから声を掛けてくれる。

十一月二十七日
体の痒みとれぐっすり眠る。昨日まで12時前に必ず小便に起きたのに昨夜は起きず。
明け方Kさんが起き出して、ベットの傍で転んだ物音で飛び起きる。急いで起こしてやったら、また転倒した。横腹を抑え痛がるので、看護婦を呼んで手当てをしてもらう。

Kさんは夜になると入れ歯を外して寝るので、言葉がハッキリしないから重病人のように見えるが、普段は確りしていて、品の良いお爺さんになるときもある。
いつも5時半ごろ起きるのに、今朝はKさんの騒ぎがあった後なので眠い。身体も何となくだるい。6時半まで寝てしまった。

起きて先ずお茶が飲みたいと思うなり。しかし今日は内臓の超音波検査で食止め出お茶も駄目。同室のO氏も、K氏も同じく食止めである。空腹甚だし。
O氏、K氏の順で検査室の呼び出しがあり、俺が最後になる。10時を過ぎていたり。O氏は血管造影だそうで、検査が終わってからも一日寝ていなければならないとぼやいていた。

検査室で、近所のM子さんに遭う。町の検診でヒッカカッテしまったと言った。
Dr.の説明が今日もある。一昨日とほぼ同じ説明だが、血痕のあたりが非常に珍しい現象でそこから出血するのを恐れて大事をとっているのだそうだ。何れにせよ血管造影は今回は見送りで、貧血の改善で退院できるとの事である。退院は来月つまり来週(十二月)初めになりそうだ。
俺の方の見通しは明るくなったが、体調の悪い妻に忙しい思いをさせてしまって気の毒である。
夕方風呂に入る。鏡に映ったわれの身体、ボツボツ染みになっていて肋骨ばかりあらわに見えて哀れなり。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
加藤隼戦闘隊 (凡凡)
2006-12-08 08:28:45
谷先生 「海軍航空隊」に比べて「陸軍飛行隊」は
ダサイなんて会話のようですが、加藤隊長が浮かばれませんですよ。あの有名な隼戦闘隊は、れっきとした
「陸軍飛行隊」ですぞ!! 
          
         ”キョウォ~ツケェ~ッ”
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隼とゼロ戦 (tani)
2006-12-08 12:26:08
コノ処、こちらのパソコン反応が重く、その所為だったのでしょう。1通削除しました。なん通もあった方が、見栄えがしますが…。

海軍のゼロ戦はあまりにも有名ですが、「隼」についてはさほど評価されないようです。
性能諸元、を比べれば、優劣は明らかですが、
名称、分類記号、なども全く違っていました。
ゼロ戦
零式艦上戦闘機(12試艦上戦闘機)
A6M1~5

一式戦闘機
キー○○←数字(一連番号で分類番号ではない)
あとで書きます。そんでわ。



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陸軍飛行機 (凡凡)
2006-12-08 15:59:55
谷兄  コメントとは言えエスカレートいたしますネ。小生もこんな話が好き
なんです。先の陸軍機 隼 「はやぶさ」に追加コメントでござりまする。

★ 鍾馗 「しょうき」 (隼の次期 戦闘機) 
★ 呑竜 「どんりゅう」 (長距離戦闘爆撃機)  

☆ いづれも海軍の 「ゼロ戦」と同じ頃です。「ゼロ戦」は戦後になって 
  神風特攻隊で知られていますが、私たち当時の小学生は陸軍の
  上記2種の方が米国機より優れていると自慢した記憶があります。
              孫出話

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陸軍機〝疾風〟 (tani)
2006-12-09 06:16:57
陸軍の傑作機は(現アメリカ、マロに―航空博物館展示)キ84、疾風(はやて)、正式名4式戦闘機。
海軍の紫電改(N1K2-J)と並んで日本航空技術の最後の合唱であった。云々。(ヒコーキの心 佐貫亦男 講談社)
鍾馗キ44二式単戦はあまり評判は良くなかったようです。そんでわ又。
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