今日は長崎原爆の日。朝日新聞コラム「天声人語」は今年の春急逝した黒木和雄監督の作品「TOMORROW明日」の冒頭の字幕「1945年8月8日長崎」を取り上げ、
「今日、長崎は61回目の原爆の日を迎える。爆心地に、浦上天主堂に、あの日のような「明日」が二度と来ないようにと祈る多くの人々の姿があるだろう。その祈りが、広島の祈りと大きく一つに結ばれ、日本の各地へ、世界へと広がってゆく。そう念じながら、手を合わせたい。」と結んでいる。
(原子爆弾 - Wikipediaから転載)
終戦の日を間近に控え、小泉首相が靖国神社に参拝するとかしないとか、朝日は賑々しくページを割き、社説にも取り上げているが、原爆に関しては、これ以外の記事は見当たらない。
ボクはそんなことよりもといったら、英霊にすまないと思うけれど、一瞬にして、10万単位の人名を奪った「原爆」の残虐性戦争犯罪についてもう少し突っ込んだ論陣を張るべきだと思う。
そして、真の戦争責任者に付いても、自社を含め、もっと掘り下げてもいい時期に来ていると思うのだが…。
あのグラバー邸には隠し部屋があったのには驚きましたよ。尤も維新の前の段階で、国を思う志士たちが出入りをしていたわけですからね。
原爆の記念館を見て思いましたよ。日本民族が、もし白系の民族であったらアメリカは、日本の国土へは、原爆は落とさなかったであったろうと。もし落とすにしても東京湾のど真ん中とか、瀬戸内海辺りに落として、その威力の凄まじさを認識をさせる程度に留めたのではなかったのかと。
何故かと言うと、あの戦争で、アメリカの本土にいた日系人は知られるとおり、一世も二世も全員収容所に収容をされた。しかしドイツ系についてはアメリカは寛容で、何処へも収容などはしなかった。
確かにアメリカは、早く戦争を終結をさせるために原爆を投下をした。そしてそれが人間に対して、どのような影響をもたらすのか。その意味では、イェローモンキーである日本人は、絶好の実験材料であったに相違ない。
私はあの時期、アメリカの枢要の誰かが、そう考えたとしても不思議ではなかったと思っている。
戦後アメリカ映画の氾濫で、西部劇で日本でのファンも多かった、ゲィリークーパーやジョンウェンなどはその実は、昔から日本人嫌いで有名であったと言われていた。
日本人同士であっても人の心の奥底はわからないことが多い。ましてや敵同士の白人と日本人であったわけだから、向うに言わせれば、新兵器ができた〝じゃすぐ使って効果を確かめろ、どうせ相手は日本人だ〟私にはこの辺りがどうも、アメリカの極く自然な、本音であったような気がしてならないが。
などと云う巷の声を耳にします。
戦争をゲーム感覚で考えているような若者が増えています。
今の自衛隊で戦争できると思っていんだっぺ歟?